連載第3回 京浜パーカライジング

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ドラム缶の運搬に特化した商品開発。
ローテクを目指す『京浜パーカライジング』


ドラム缶運搬具の製造、『京浜パーカライジング』
● 零細企業が困っていることをお手伝い
 液体を保管したり運搬するための容器にドラム缶がある。寒冷地で石油ストーブを使用する家庭では灯油をドラム缶単位で購入していて、一般にも馴染み深い。だが、ドラム缶は灯油のみならず、薬品、染料、食品などの運搬のために産業界で広く利用されている。昔から形や規格が変わらず、古臭いように思われるが、頑丈で、何度も再利用できるため、これからも使われ続けるであろう。
 ドラム缶に液体を充填すると総重量は二百キログラム以上となり、トラックに積み込んだり、倉庫内で移動させるには人力では難しい。大きな工場ではフォークリフト車を使っているが、小さな商店では高価で購入できない。ドラム缶ごと液体や薬品を購入するのは、クリーニング店や捺染業者のような零細な企業が殆どである。町工場のような末端の需要家層はドラム缶の運搬に困っていたのが実情であった。
 こうした小規模の需要家にのために、簡易な機構であるが、現場の職人達に便利なドラム缶運搬具を製造しているのが京浜パーカライジング(笹岡益良社長)である。
● 社長の夢を実現させる長い道のり
 社名にパーカライジングとあることから判るように、金属製品の表面を化学薬品でパーカ(被膜)処理するのが業務である。金属に付着した油性分などを除去し、塗料をしっかり付着させるための前処理である。化学処理会社が本来の業務とは全く無関係の重量物のドラム缶運搬具を製造しているのだが、ここに至までには有為曲折あった。
 大手の空調設備会社に勤めていた笹岡社長は、昭和四五年頃に退職し、空調機器の据え付けと修理を専門とする会社を興した。当時はビル冷房の走りの頃で、パッケージ型と呼ばれる大型の空調機器が主体であった。この空調機器のコンプレッサーが故障すると、コンプレッサーを本体から取り出して分解修理しなければならなかった。当時のコンプレッサーは百キログラム以上あり、本体から取り出す作業だけでも大変であった。修理の仕事を楽にして早く終了させるため、笹岡社長はコンプレッサーを吊り上げて移動させる道具を自作した。丈夫な台車に上下に回動できるアームを取り付け、アームをジャッキで押し上げる簡単な構造である。アームの先端でコンプレッサーを吊り上げ、作業現場でコンプレッサーを楽に取り出すことができるようになった。
 この運搬具は業界での評判が良く、当時で三百台が売れたため商売になると感じ、京浜急行青物横丁駅の近くの店舗で、本来の空調設備の業務の傍ら重量物運搬具の製造と販売を開始することになった。ここまでは順調であったが、昭和五五年に詐欺事件に引っ掛かり、計画が頓挫してしまった。販売に協力するという人物が現れたのだが、この人物がとんでもない人物であった。笹岡社長の会社名で取り込み詐欺を行い、雲隠れしてしまったのである。莫大な借金の尻拭いをさせられる羽目になり、十年近くかかって借金を返済することになった。
 その後、以前の取引先だった知人から現在の会社を任され、平成元年からは空調設備業とは畑違いのパーカ処理に取り組むことになった。会社が順調になって余裕が出てきた平成七年になると、以前からの夢であったモノ造りを実現させるため、中断していた運搬具の製造を再開することになった。工場の空き地に廃材で四坪程の作業小屋を建て、中古の旋盤や溶接機などを揃えた。定年となった職人を雇い、手作りであるが量産できる体制を整えた。この時、笹岡社長は六五歳になっていた。
● ローテクのシンプルさが売りの作業道具
 現在販売している製品のラインナップは三つの分野があり、パレット運搬台車、高所移動台、ドラム缶運搬具である。さらに細かく分類すれば十三種類にもなる。これらの製品群はモノ造りを再開した平成七年から開発されたものではなく、三十年以上前から始まっている。
 工業学校を卒業した笹岡社長はモノ造りに対してなみなみならぬ熱意があり、身体を動かして金属材料を加工し、今まで無かった商品を工夫して形にする過程に趣味があり、生き甲斐でもあった。特に、重い物やかさばる物を運搬する道具の開発には執着していた。青物横丁で店を構えていた時、近所の人のために運搬具を製作することがあった。笹岡社長が製作した道具は良く工夫されていて、「現場で働く人達が楽になった」と評判が良かった。口コミで、「重いものを運ぶのに困ったら笹岡さんに相談してみたら」と言われるまでになり、各種の運搬具の開発を頼まれることが多くなった。そんな依頼の中から、現在販売している商品の開発のヒントが含まれていた。
 パレットの下に挿入し、テコによりパレットを持ち上げて移動させるパレット運搬台車は紙問屋から頼まれた。原紙をパレットに積み上げると百キログラム以上の重さにり、運転手一人だけでは引き出して移動させるのは難しいからであった。ハンドルを回すことでチェーンを巻き上げ、二重になった筒を上下に伸縮させることで重量物を持ち上げる高所移動台は、電気工事店から頼まれた。クーラーの室内機を壁の高い位置まで持ち上げて、助手なしで職人一人で据え付け工事ができれば、人手不足の工事店が助かるからである。
 ドラム缶を立てたままで水平に移動させることができるドラム缶運搬具「ドラムスコ」は得心の作品である。垂直に立てたドラム缶を少し傾け、開いた底に半円形の台車を挿入し、ドラム缶を戻すことで台車に搭載させ、台車ごと移動させる構造である。一人ではとても移動できない重量のドラム缶をテコの原理を応用して台車に載せ、女性でも軽々と移動させることができる。このドラムスコは知人の奥さんのために開発したものである。ドラム缶を運搬する仕事をしていた知人が亡くなり、奥さん一人でドラム缶を顧客先まで運搬しなければならず、困っていたのを見て開発したそうだ。
● これからの展開について
 笹岡社長のモノ造りに対する発想は、作業現場で働く人達の目線で開発していることである。各製品は軽量に設計してあり、一人でトラックやライトバンに搭載することができる。比較的大きな商品は、全ての部材を分解でき、作業現場で組み立てて使用できるように工夫してある。しかも、油圧やモーターなどの動力源を用いず、今では誰も見向きもしないローテクに徹していることに特徴がある。ローテクであることから、製品が安価となり、軽量で壊れ難く、職人達にとっては使いやすいものとなった。
 今まで宣伝に力を入れなかったため、ドラムスコなどの知名度は低い。昨年、初めて見本市に出品したところ、大きな反響を得た。大企業の技術者にはない発想の商品ばかりであったからだ。これからはインターネットなどを利用した販売体制を強化し、全国に向けて道具としての運搬具を販売することを計画している。