平凡な人にとっての夢とは。
楽しく話しているだけでは目標には達成できないが。
前回は夢とその実現について述べてたが、今回は『夢と空想』について考えてみた。どうも、私が考えている『夢』とはいつか実現できるものであり、私が考えている『空想』とは絶対に実現できないことのようだ。一般の人(というよりは、私以外の人である)の範疇にある『夢』とは実現できないことであり、『空想』とは思いもつかないような世界のことらしい。
以前、私の事務所では若い男をバイトで雇っていた。この男は時々夢みたいな話題をすることがあった。スポーツカーを買いたい、豪華な海外旅行ツアーに参加してみたい、港区のマンションに住んでみたい、などと言った話題であった。バイト君の身分ではまず不可能であり、将来も無理な内容が多かった。若い時にはいろんな夢があるのだな、と考えていた。
ある時、そのバイト君に、『夢を持つなら実現できる夢を持ちな。小さな夢から順番に実現すれば大きな夢も実現できる。できないような夢は口にするな。』と説教したことがあった。私の説教がきつかったのか、バイト君は逆ギレしたようで、私に大きく反発してきた。その時のバイト君は、『社長は多少は軍資金があるから、金を出せば実際に実現できることが多いんだ。俺たちのような貧乏人は夢を実現したくともできないのが現実なんだ。貧乏人は夢が実現できないことが判っていても、その夢を話しているのが楽しいんだよ。』と大いに反論をしてきた。この言葉には、なるほどな、と感心させられた。彼にとっては、実現できない目標や希望が『夢』であり、夢を話している間は現実の立場を忘れていて楽しいのである。これは名言であった。
その言葉を聞いてから、社会を再度新しい目で観察してみたらその通りだった。喫茶店、レストランで会話するカップルの話題、酒場で同僚や知人と会話する話題などは正に『夢』なのであろう。『多分、絶対に実現できない。或いは、今の収入では買えないような高額の商品』について、実現できそうにもない話を話題にしていても、当人達は楽しいのである。同時に、会話しているお互いの心の内では、実現できないことが判っている。口では夢を楽しく説明し、相手もそれをさらに補強するため、まさに『夢が広がっていく』ことになる。だが、喫茶店や酒場を出たとたん、夢の世界から現実の世界に戻ることになるのだが。
そんな『実現できない夢』を持って生活をしている人達が悪いとは思わない。大半のサラリーマンは、毎月の月給の金額が決まっていて、その範囲でしか活動できない。それが40年間も続くのである。サラリーマン生活は単調であり、特別に昇進しない限り大きな成果も得られないであろう。平凡なサラリーマンが、今までの夢を実現させるための資金を入手するには二つの方法しかない。宝くじに当たるか、遺産相続するかである。どちらも現実味の薄い話である。そんな人達にとって、『夢』とは一種の『希望』であり、実現できなくともそれが現実逃避なのではなかろうか。
このバイト君からの逆襲で、私は生活態度を変えることにした。すなわち、私は『夢』や『空想』を口にすることを止めた。私の夢や空想を他人に説明しても、それは相手にとっては楽しいものではないからだ。
2005年2月22日