2005年05月25日

●誇らしげな判決文

判決文.jpg
こんなパネルは初めて見た。

 『NEW環境展』という見本市に出掛けました。産業廃棄物の処理装置やリサイクルなどの機器、廃品回収の装置が主な出展です。
 そんな見本市会場で、ブースの壁に訴訟の判決文を大きく掲載している出展者を見かけました。出展者は産業廃棄物処理業者、つまり、廃棄物を処理して山の中に埋めるのが仕事です。裁判は宮崎県で提訴されたもので、地元の住人が処理場の設置に反対したものでした。住民の近くに処分場が出来るのは嫌がるものであり、どこの処分場でも住民による反対運動が起こされているようです。この裁判は6年位続き、業者の勝訴となりました。裁判中は処分場の操業を行うことができず、業者は困ってたのでしょう。
 業者としては長年の裁判に勝ってその結末を来場者に告知したいのと、裁判所のお墨付きが出たので堂々と営業できます、という意思表示ではないかと思われます。或いは、操業を中止された反対運動の連中への当てこすりかもしれません。莫大な裁判費用と操業中止による損害があったので、社長としてはこのくらいしないと腹の虫が納まらないのでしょう。
 見本市でこのような判決文を掲示するのは、私は初めて見ました。しかし、ここまでやるかね。
2005年5月25日

Posted by hibi at 23:54 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2005年05月08日

●取材先の社長が亡くなるジンクス

私が出会った社長の中には、取材後に急死される方もみえた。
それで私には変なジンクスが付いた。

 私が取材では、『私が取材した社長がその後に急死する』というジンクスがある。
 雑誌『φ』の連載が終わり単行本にまとめるため、取材してから4年後に各会社に連絡して訂正する点を問い合わせる作業を行った。その際に、過去に取材してきた25社の社長の内で4名が亡くなられていた。マイクロフォン会社の社長、住宅模型の会社の社長、ティーバッグ会社の社長、檜風呂会社の社長である。その後に、月刊日経ベンチャーの連載で鰹節会社の社長を取材したが、雑誌が発行された日にその社長は亡くなられた。私が貧乏神ではなく、偶然の一致なのであるが、何故か亡くなられる確率が高い。
 その原因を考えてみると、もともとニッチ企業が成立するのは社長の年齢が高い時期から始めている。40代、50代から隙間商品を開発し、それから販売するのであるから10年は経過している。すると、隙間商品がヒットしてニッチ企業として成り立っている時には社長の年齢が60歳から70歳に達していることになる。その頃になって私がニッチ企業として見つけ出し、取材にでかけるのであるからもう高齢である。そんな理由からか、私の取材の後で亡くなられる確率が高いのであろう。
 現実には若いニッチ企業の社長も多いので、必ずしも私のジンクスが当たっているとは限らない。できれば、私もこんなジンクスとはおさらばしたいのであるが。
2005年5月8日

Posted by hibi at 00:14 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2005年03月09日

●ニッチ企業は宝くじのようなものか

ニッチ企業として成功するのは大変な困難さがあるようだ。
だが、参加しなければ成功はしない。

 かってニッチ企業として取材したことのある社長と再会した。その社長は、『隙間商品を見つけてそれを育て、販売を軌道に乗せるのは大変だった。隙間商品を専業にするニッチ企業になるのは宝くじで1等に当たるような難しさがある。これからニッチ企業を目指す方には失礼だが、あまり確率のよいものではないので、隙間商品を開発するのはお勧めしません。』といった意味のことを言われた。
 なるほど、社長の仰るとおりニッチ企業として成功するのは難しい。この社長の会社は隙間商品として市場をほぼ独占しており、ニッチ企業としてはトップクラスである。中小企業としては大成功した分類に属することは間違いない。しかし、そこに至までには、社長の並大抵の努力だけではたらず、運や環境にも大きく左右されている。このため、社長が『ニッチ企業になるのは宝くじを当てる位に難しいよ』と仰るのは説得力がある。すでに社長自身が体験されてきたことであるから、説得力もある。
 なるほど、宝くじの1等に当選する確率は三百万分の一か五百万分の一であり、当選するのは至難のわざである。しかし、宝くじには千万円の2等賞や百万円の3等賞もある。うまくいけば、ダブルチャンスで残念賞の五十万円もあるではないか。宝くじであっても大当たりと小当たりがあるのだ。ニッチ企業であっても大成功と小成功があってもおかしくはないはず。
 ニッチ企業で大成功した社長が、『宝くじのように難しいので、後輩の人が参入するのはお止しなさい』と説明するのも一理ある。だが、難しさがあっても中小零細企業が下請けや将来性の無い現状を脱却するには、何らかの行動を起こさなければ解決できない。その脱出策の一つがニッチ企業を目指すことである、私は力説してきた。宝くじも買わなければ、いつまで経っても当たらない。大成功しないかもしれないが、ニッチ企業を目指さなければいつまで経っても現状のままである。世間から評価を受ければ、2等賞、3等賞かもしれないが、それでも何も行動しないよりは成功に近づくのである。
 失敗を恐れずに、自己資金と現在の能力を活用し、できる範囲からニッチ企業を目指さなければ何も変わらないのではなかろうか。
2005年3月8日

Posted by hibi at 00:26 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2005年02月22日

●夢と空想

平凡な人にとっての夢とは。
楽しく話しているだけでは目標には達成できないが。

 前回は夢とその実現について述べてたが、今回は『夢と空想』について考えてみた。どうも、私が考えている『夢』とはいつか実現できるものであり、私が考えている『空想』とは絶対に実現できないことのようだ。一般の人(というよりは、私以外の人である)の範疇にある『夢』とは実現できないことであり、『空想』とは思いもつかないような世界のことらしい。
 以前、私の事務所では若い男をバイトで雇っていた。この男は時々夢みたいな話題をすることがあった。スポーツカーを買いたい、豪華な海外旅行ツアーに参加してみたい、港区のマンションに住んでみたい、などと言った話題であった。バイト君の身分ではまず不可能であり、将来も無理な内容が多かった。若い時にはいろんな夢があるのだな、と考えていた。
 ある時、そのバイト君に、『夢を持つなら実現できる夢を持ちな。小さな夢から順番に実現すれば大きな夢も実現できる。できないような夢は口にするな。』と説教したことがあった。私の説教がきつかったのか、バイト君は逆ギレしたようで、私に大きく反発してきた。その時のバイト君は、『社長は多少は軍資金があるから、金を出せば実際に実現できることが多いんだ。俺たちのような貧乏人は夢を実現したくともできないのが現実なんだ。貧乏人は夢が実現できないことが判っていても、その夢を話しているのが楽しいんだよ。』と大いに反論をしてきた。この言葉には、なるほどな、と感心させられた。彼にとっては、実現できない目標や希望が『夢』であり、夢を話している間は現実の立場を忘れていて楽しいのである。これは名言であった。
 その言葉を聞いてから、社会を再度新しい目で観察してみたらその通りだった。喫茶店、レストランで会話するカップルの話題、酒場で同僚や知人と会話する話題などは正に『夢』なのであろう。『多分、絶対に実現できない。或いは、今の収入では買えないような高額の商品』について、実現できそうにもない話を話題にしていても、当人達は楽しいのである。同時に、会話しているお互いの心の内では、実現できないことが判っている。口では夢を楽しく説明し、相手もそれをさらに補強するため、まさに『夢が広がっていく』ことになる。だが、喫茶店や酒場を出たとたん、夢の世界から現実の世界に戻ることになるのだが。
 そんな『実現できない夢』を持って生活をしている人達が悪いとは思わない。大半のサラリーマンは、毎月の月給の金額が決まっていて、その範囲でしか活動できない。それが40年間も続くのである。サラリーマン生活は単調であり、特別に昇進しない限り大きな成果も得られないであろう。平凡なサラリーマンが、今までの夢を実現させるための資金を入手するには二つの方法しかない。宝くじに当たるか、遺産相続するかである。どちらも現実味の薄い話である。そんな人達にとって、『夢』とは一種の『希望』であり、実現できなくともそれが現実逃避なのではなかろうか。
 このバイト君からの逆襲で、私は生活態度を変えることにした。すなわち、私は『夢』や『空想』を口にすることを止めた。私の夢や空想を他人に説明しても、それは相手にとっては楽しいものではないからだ。
2005年2月22日

Posted by hibi at 20:20 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2005年02月21日

●実現できない夢は捨てるべきでは

夢の無い男、と言われてきた。
しかし、夢を実現させるためには実現できない夢は捨てるべきだ。

 私は女性にもてたことが無い。その理由は、女性からすると、私には『夢』が無いかららしい。複数の女性から、夢が無い男、と言われ、持てない原因がやっと判った。女性からこのように評価されていることに気がついたのは、私が30歳を過ぎてからであった。
 では、どのような点で夢が無いと言われているのかを分析してみたら、私の夢が現実的に近いことであった。私の夢の殆どは近未来に実現可能なものばかりであり、非日常的な夢を持っていないことである。
 例えば、ハワイに海外旅行をして遊んでみたいという夢を語ったとする。女性の場合には、未だ行ってみたことのないハワイの風景、観光地などをガイドブックからの知識であれこれと話題に、もしハワイに出掛けたとしたらどんなに楽しいかを語り合うのである。これに対して、私がハワイ旅行を語るとすれば、出発日の目標を決め、予算を考え、旅行会社の選別が話題となる。もし、資金の余裕がなく、ハワイ旅行が出来そうもないと判ったなら、私は海外旅行を話題にすることはしない。実現できそうも無いようなテーマであれば、あまり話題にもしなかったようだ(現在でもそうであるが)。半年、一年の間に実現できるようなテーマばかりを話題にするだけではない。理論的に考えて、十年二十年後であれば実現可能性があるようなテーマであれば口にする。要するに、実現が不可能なテーマは、私にとっては夢ではなさそうだ。或る人からは、『あなたの考えているのは夢ではなくて、計画だ』と言われたこともあった。
 ニッチ本を発刊しようとするのは私の長年の夢であった。この夢を実現させるために、まず雑誌社を攻略し、取材先を見つけて交渉し、原稿を期限までに書き上げなければならなかった。雑誌に連載されてから単行本を発行するには、出版社を探して交渉し、内容の検討と打ち合わせをし、校正しなければならない。単行本を発刊してからも出版記念会に出席して宣伝しなければならず、全て期限を決めて順番に処理していかなければ成り立たないのが実情である。
 では、女性にとって最高の夢とは何か、と考えた場合、それはボンヤリとした曖昧なものらしい。実現できそうであるが、ある一面からすると実現できないような内容のテーマが夢のようである。非現実的な話題なのであるが、もし実現できたとすれば楽しいのではないか、という内容が夢なのである。
 知人の中に、英国の小説を翻訳して単行本を出版する夢を持っている女性がいる。十年前も出版の夢を語り、五年前も出版の夢を語り、今もその夢を持っている。多分、五年後も、十年後もその夢を語るのではなかろうか。彼女にとっては出版してみたい、という夢を語っている短い時間が一番楽しいのである。なるほど、『夢』という漢字の意味からすれば、できそうでできないテーマがまさしく夢なのである。
 私ができそうでできない夢を持っていたならどうなるであろか。ニッチ本の出版もできず、隙間商品についての分析もできなかったであろう。私が出会ってきたニッチ企業主の殆どは、私よりももっと現実的であった。彼らは『中小企業として成功してみたい夢』だけを持っていたならば、ニッチ企業としては成功しなかったであろう。ニッチ企業主となり、安定した会社経営を続けるためには超現実的な思考にならざるを得ないのである。
2005年2月20日

Posted by hibi at 00:26 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2005年02月19日

●知識は商品です。

知識はタダではありません。
女性社長の悪い癖に、知識に対価を払わないことがある。

 一応、私は特許事務所の看板を掲げて仕事をしているので、いろんな社長達と出会うことが多い。知人からの紹介された人、私の講演を聴取して知った人、各種のパーティで名刺を交換した人、私の著作を読まれて連絡してきた人など、各種様々なキッカケがある。そのようにして出会った人達の中には女性社長も結構多い。だが、私は社長が女性である場合には、体を半分構えて会話することが多い。つまり、女性社長の会話に乗り込まれないように、用心しながら話をするのである。
 女性社長と名刺を交換すると、後日になって相談の電話がかかってくることが多い。たった一回会っただけなのであるが、いとも気安く電話してくるようだ。しかも慣れ慣れしく。そういった女性社長からの電話では、特許や商標について会社で困っている問題や疑問を相談される。或いは、これから発表する新製品について、評価や法律的な解決策などを質問されることもある。そんな時、私は適当な返事をし、なるべく確信的な判断をしないようにしている。過去の体験から、女性社長からの相談では、大半が『私のただ働き』になっていたからである。気安く電話して相談するが、答えを聞くとそれっきりであった。
 私は弁理士であり、特許・商標についての専門知識を持っているが、これは私の商品なのである。専門知識は、国家資格を取得してからも、研修して積み重ねてきたものであり、汗の成果である。商品である私の知識や判断を、女性社長は無料で入手したいのである。いわば、飲み屋に入って、酒をタダで飲ませてくれ、と言っているのと同じである。女性社長にはそれが判らないのであろう。一度会っただけなのに、竹馬の友のような馴れ馴れしい喋り方で電話してくるのには内心腹が立つ。今までの体験で一番図々しかった女性社長では、会社まで呼び出し、そこで2時間ほど特許について説明させられた。私の説明が終わったなら、その女性社長は『もう用は無いから帰って欲しい』といような素振りとなった。利用するだけ利用したなら、それでお終いだったのだ。
 女性社長が知識に対価を払わない理由について分析すると、その一つは、形の無い物には金銭を支払いたくない、という女性独特の心理があるのではなかろうか。また、子供の時から知人や親を頼ってきた生きかたをしているため、『知り合いなのだから助けてくれるのは当然ではないか』という感情があるのではなかろうか。女性同志の助け合って(表面上だけだが)いく精神をそのまま実社会に通用させているのであろう。
 全ての女性社長がそうであった、とは言わない。飲食店経営者、パーマ屋経営者などのように、お客商売をしている女性はそれなりの気の使い方をしてくれることが多かった。前述のような厚かましい女性社長の名刺を見ると、『コンサルタント』『料理評論家』『企画会社』『広告会社』といった職種が多かったような気がする。いずれも資本をかけず、気楽に開業できるような軽薄な仕事ではなかろうか。男女雇用均等法も制定されたことである。女性社長も知識に対価を払う習慣を身につけて欲しいものだ。
2005年2月19日

Posted by hibi at 17:03 | Comments [0] | Trackbacks [0]

2005年02月18日

●製造業における性別

製造業には女性社長の進出が少ない。
女性特有の性癖によるものだと思われるが。

 私の関心がある中小零細企業は『モノ造り』をしている企業である。農林水産業の第一次産業や飲食業・サービス業の第三次産業であっても、活気があって面白い企業が多い。しかし、取材先の窓口を広げても目的がぼやけ、正確な分析はできない。私は『モノを生産、企画する製造業』のみを調査、取材、分析の対象とし、それ以外には関心を持たないようにしている。また、企業規模は従業員が50名以下であり、特に数名で経営している家内工業的な企業に執心している。『そんなに狭い分野だけを研究すると、視野が狭くなり、大きな成果が得られないのでは。』と危惧する人もいる。しかし、極端に狭い分野での研究であるからこそ、深く掘り下げて鋭い分析ができるのである。広い範囲の取材では、知識や情報が豊富になると思われるのだが、全てに浅い調査と分析しかできないのである。人生は短いのであり、あれもこれも、といった欲張った研究はできない。私一人でする研究では、この程度まで絞り込まないと成果が得られないと確信している。
 さて、そんな調査と取材を続けているうちに、企業主の性別により関係する分野が大きく違っていることに気がついた。『モノ造り』の企業では女性が極めて少ないのである。モノ造りでは男性ばかりであり、女性の進出が珍しいのである。あなたの周りを見渡していただければ判るのだが、製造業や修理業では女性社長は殆ど見かけられないはずである。
 この原因を考えてみたら、女性の性格の特質によるものではないかと思われる。すなわち、女性は『損をすること』を極端に嫌がる性癖がある。有史以来、女性は家庭を守り、子孫を残すことに大きな使命を与えられてきた。どちらかと言えば、進歩的というより保守的な性質といえるのではなかろうか。ところが、新商品を企画して製造する、という行為は必ずしも成功することもなく、失敗してしまうこともある。投資した資金が無くなるか、少なくなる可能性があるのが製造業である。こんなことから、女性は製造業に乗り出すことを嫌がるのではなかろか。また、鉄工所や造船所のように、危険で重量物を取り扱うような作業には肉体的に女性が向いていないことも一因ではなかろうか。しかし、近年では、コンピューター部品や精密機器などのように、体力を使わずに製造できる商品もあることから、やっぱり、女性は投資をすることに非常な嫌悪感を持っているのではなかろうか。女性が進出している製造業では、衣服やハンドバッグなどの日常生活用品の分野がある。これらは製造業というより、むしろデザイナーという第三次産業にちかいものであり、純然たる製造業への女性社長の進出は極めて少ないと判断される。
 では、女性が企業主として進出している業界は何か、と言えば、それは『絶対に損をしない業界』といえる。それらは、例えば、保険代理店、英会話教室、通訳・翻訳業、マッサージ業などの特定の業種に集中している。これらの業務に共通していえることは、『事業に失敗しても大きな損が出ない』ことである。日銭が稼げて、最悪の場合の損でも自己の時間を浪費しただけで金銭的な損害が出にくい業態といえる。
 たまに、製造業で女性社長である方を見かけることもある。それらは、父親か亭主の事業を引き継いで経営していることが殆どであった。自ら製造業を立ち上げ、運営されている女性社長とは出会ったことがなかった、といのが私の体験である。
 私の見解は、女性差別、ということでは決してない。職種の選択が性別によって大きく影響される、という一例である。

Posted by hibi at 23:24 | Comments [0] | Trackbacks [0]