2005年11月25日
●東京国際家具見本市。 その3。


素人が見ても惚れ惚れする材木でした。
年輪のある材木は素晴らしいものです。
「東京国際家具見本市」には家具屋に販売する材木屋も出展していました。材木と言っても一般家庭が使うような安価な杉や松ではなく、それだけで机や食卓になる一枚板です。一枚数十万円からの材木が多いのですが、このブースでは屋久杉の一枚を出品していました。お値段は何と1000万円。これだけ大きな屋久杉は現在は入手不可能とのことで、こんなお値段が付けられたそうです。これより小振りな屋久杉は結構みかけることができるそうですが、ここまで長尺のものは珍しいそうです。この板を購入される人はどんな人でしょうか。
2005年11月24日
2005年11月24日
●東京国際家具見本市。 その2。



見たこともないような緻密な家具がありました。
こんな細工であれば中国製品も怖くありません。
「東京国際家具見本市」では、家具ばかりか木製品も出品されてます。これは九州の大川市の企業が出品していた組子入りのガラス扉です。細い木片で細工(組子)が組み立てられていて、菱の実のように六角形をしたデザインとなっています。緻密な細工であり、このような細かい仕事は日本人の好むものでしょう。上段の写真に左側にある扉1枚のお値段は140万円、右側にある扉4枚のお値段は350万円でした。芸術的な高級な作品なのですが、高級料亭や旅館が主な顧客かと思ったら、一般家庭に納品されることが多いとのこと。これだけの扉を購入する個人家屋では、総額がどのくらいになるか見当もつきません。しかし、高級家具の良さを理解して購入する個人客がまだいて、そのような顧客の好みに応じて精密な細工をする職人がまだいるのです。両者が存在することで日本の伝統工芸の技術が伝承されていくのです。日本の国情も捨てたものではありません。
2005年11月24日
●東京国際家具見本市です。



家庭で使用する家具の見本市です。
ヨーロッパの高級家具と中国の安価な家具が極端に陳列されてます。
毎年開催されている「東京国際家具見本市」にでかけてみました。「家具」と表示されていることから、金属を使ったスチール製事務机や事務椅子は出品されてません。家庭で使用される机、椅子、ベッド、棚などが出品されていて、素材は木や布が主流となっています。どちらかと言えば量産品よりも少量生産の高級家具が目立ちます。国内の出展者は九州、四国、高山、北海道などの木材の生産地に近い地方から来られた業者が大半でした。外国からの出展者もあり、フランス、イタリアなどですが、こちらはデザインが優れている代わりに目の玉が飛び出るような金額の高級家具ばかりでした。反面、中国、韓国からの出展者もいましたが、こちらはホームセンター向けの安価な家具ばかりでした。
上段、中段の写真は海外からの出展者であり、垢抜けたデザインの家具が並んでます。ソファーや机などを一揃い同じデザインで統一すると百万円は軽く出ます。この業界では模倣が多いとのことで、一社が新作を発表すると半年後には東南アジアなどから類似品が出回るということです。このため、会場内での写真撮影は禁止されてました。
下段の写真は中国からの出展者のブースです。商売物のソファーに座っているのは中国から来た女性説明員です。休んでいるのではなく、客と商談するまではソファーに座って待機しているのです。日本の企業であれば許されないことであり、客が来ようが来なくとも接客のためには説明員は立って待機するのが常識です。この点が風習の相違といえばそれまでなのですが、何だか中国人の体質を表しているようでした。とにかく、やる気が無くて活気が無いのが中国からのブースでした。
2005年11月24日
2005年11月13日
●東京ビジネスサミット その2




地方からの出展者なので野産物が目立ちます。
スーパーなどでは入手できない地場の特産ばかりです。
「東京ビジネスサミット」では中小企業というよりも零細企業の出店が大半であり、しかも地方都市からの出店が多いので、出品する品目は自ずと農産物、海産物が目立つことになる。米、酒、干物などの食品を出品しているブースが多かった。しかし、スーパーでパックで売っている安くて不味い食品ではなく、その地方で採れた最良の食品ばかりである。お国自慢ではないが、私の村の食品を見ていってくれ、と叫んでいるようだった。考えてみると、東京で開催される見本市の多くは、大手食品メーカーによる大量生産の食品ばかりである。冷凍食品や加工食品ばかりで新鮮で採れたての地方の食品は展示していない。全国からその地方の美味しい食品だけを少しだけ並べている見本市も珍しいのではなかろうか。個人で高級な飲食店を経営している人達は、このような地方から出店する見本市にでかけ、市場では入手できない新鮮な食材を直接取引することを考えてもよいのではなかろうか。
1段目の写真は、村で採れたキノコを出店していたブースである。山で採れたものだけを提供していきたい、と力説していた。2段目の写真は、リンゴや梨を出店していた山形から来た出店者である。3段目の写真は、沖縄県から集団で出店していたブースで、地元特産の黒砂糖や菓子を出品していた。4段目の写真は不思議な出店者で、商品は何もなく、イベントを販売したいという芸術家であった。熊本から上京してきた人で、地元で劇団を主催しているそうだ。地方の活性化のため、各種のイベントや劇を受注していきたいと説明していた。
2005年11月12日
●東京ビジネスサミット その1




マイナーな中小零細企業向けの見本市です。
泥臭いところが面白いのです。
一般にはあまり知られていないが、中小企業だけを出店対象とした「東京ビジネスサミット」という見本市が年一回開催されている。「中小企業」という企業規模だけを共通項にした参加資格であり、それ以外は何の制約も無いのが特徴である。主催しているのはベンチャーリンクという民間のコンサルタント会社である。言わば、中小企業総合展が官庁主導であるのに対し、こちらは民間主導による中小企業向けの見本市と言える。但し、中小企業総合展が製造業を出店対象とし、出店資格の審査は各県庁の担当者が行っている。東京ビジネスサミットではそのような規制は無く、マルチ商法やいかがわしい商品でなければ何でも構わない。このため、農産物の出店者の横に電気製品の出店者が並んだり、お酒を出店しているブースの横で健康茶を出店しているブースが並んだりするちぐはぐなものがある。しかし、何でもある、ということから、何が出ているか判らない、という探す楽しみがある。大企業ばかりで華やかさはあるが、会場が何か冷たい雰囲気の見本市とは違った面白さがあった。商店街のような賑わいと、路地裏を歩くような不完全さの見本市にも出掛けてみませんか。
この見本市の特色は出店料が安いことである。1ブースを2日間借りて12万円程度であり、一般的な見本市では35万円もするから半分以下である。その代わり、ブースの面積が狭く、通路も狭いのが欠点である。この見本市では1ブースは2×2メートルであるが、標準のブースでは3×3メートルである。2段目の写真はブースの奥行きを示しているが、少し狭い。しかし、出品品目が少ない中小企業ではこの程度で十分ではなかろうか。出店料を安くすることで、地方の零細企業でも気軽に出店できるはず。
また、出店には制限がないため個人商店が独自に出店することもできる。だが、出店者の多くは地方都市ごとにまとまって出店している。これは地方にある信用金庫や地方銀行がそれぞれビジネスクラブを持っていて、そのクラブの会員を取りまとめて集団で出店しているからだ。3段目の写真は静岡の信用金庫が音頭をとって、地元の中小企業を両側のブースに出店させていた。4段目の福井の信用金庫のクラブ会員が出店したものである。地方物産展のような雰囲気であるが、地元の特産品を全国に販売しようと熱心であった。通路が狭いのでアメ横のような感じがしたが、これはこれで人込みを歩くような感じて楽しい雰囲気であった。政府や中小企業庁では地方の活性化を叫んでいるが、そのためには全国の主要都市でこのような活気のある見本市を進めるべきではなかろうか。
2005年11月12日
2005年11月12日
●連載第8回


プロ用の金槌の専業メーカーです。
安い中国製に対抗して高級品を狙っています。
● 金槌は道具箱の必需品
住宅の建築や木製品の製作で、材木と材木を結合するためには釘が使われる。釘を打つためには金槌が必要となり、職人の道具箱には鋸、鉋と共に必ず金槌が収められている。(職人が使うものは玄能と呼ばれるが、ここでは金槌と呼ぶことにする)
金槌は円筒形の鋼(頭と呼ぶ)に四角い穴を明け、この穴に樫材の柄を嵌め込んだ単純な構造である。頭の製造は比較的単純で、定寸に切断した丸鋼を加熱してハンマーで叩いて鍛造し、タガネで中央に四角い穴を開ける。この頭を加熱して油などで急冷して焼き入れすれば完成する。この工程は江戸時代から三十年程前まで大きく変わっておらず、昔は全国各地に専門の鍛冶屋がいて、地元の注文に応じて金槌を製造していた。昭和四十年頃には一人親方の零細な工場を含めて全国に三百社が存在したようで、三条市にも八十社ほどが活動していたという。
だが、東南アジアから大量の金槌が輸入され、アマチュア向けにホームセンターで安価に売られるようになってきたことから国内のメーカーは激減した。現在、国内で金槌を製造している大手メーカーは三社だけである。その一社が三条市にある須佐製作所(須佐武志社長)である。(現在も手作りの職人芸で製造している業者は十社程あるらしいが、販売額は微小)
須佐製作所では大工などの職人を顧客対象とし、和式と呼ばれる金槌の市場占有率では国内の七十%のシェアを誇っている。なお、同業者は東大阪市と三木市にそれぞれ一社づつ存在するが、これらは頭と柄が金属でできた洋式と呼ばれる製品が主流であり、輸出に力を入れているため市場では競合しない。
● 職人から商人への転換
須佐製作所は、昭和十年に初代社長の須佐作太郎が創業し、兄弟で工場を運営していた。戦時中は一時金槌の製造を休止していたが、戦後すぐに復興した。しかし、昭和二十一年に作太郎は工場設備、経営権の全てを兄弟に譲り渡し、一から出直すことにした。これは経営の方針を根本的に変え、金槌職人からの脱皮であった。金槌の製造では、技術を覚えていれば工場にはさほど大きな機械は不要であり、投下資本は僅かである。従業員も少数ですみ、極端なことを言えば、夫婦二人でも製造することができる。製造した金槌は地場の問屋に納品し、月末に清算するのが習慣であった。この経営は堅実なのだが、地場だけのマーケットであるため成長が見込めない。また、当時の経営者は、日銭を稼ぐことができれば十分だ、という保守的な考えがあった。
作太郎は東京、大阪の問屋を回り、県外に新たな商圏を開拓して三条から出荷することにした。戦後の復興期であるため、都会では大工道具の金槌が飛ぶように売れ、思惑が当たった。販路が広がっていったが、営業の拡大に比例して頭の種類を多くする必要がでた。現在でもそうであるが、金槌の頭は全国共通ではなく、北海道型、関東型、関西型、岩国型などの地方によって形が異なっている。地方文化の相違により頭は地方ごとに独特の形があり、親方が使っていた形が弟子に受け継がれているからである。また、瓦、タイル、型枠などの職種によっても重量、寸法が違うものであった。全国の職人に利用してもらうために、各地の特徴にあわせて多数種類の頭を製造していくことになった。この種類の豊富さが全国の職人を制覇する要因となった。地元の同業者が先細りになっていくのに比べ、須佐製作所の販路は全国に広がっていった。
● 技術の革新
初代社長は販路を全国に求めたが、二代目社長となった息子の須佐修身は量産のための新技術の導入を図った。それまでの金槌の製造では職人による手作業に頼っていて、一人が一日五十個程度を生産するのが限度であり、手作りのため製品にバラツキが出やすいものであった。昭和四十七年から型打ち鍛造を導入し、量産化と均質化を図ることにした。型打ち鍛造では、金槌の形状をした型の中に加熱した丸鋼を入れ、油圧プレス機で打ち込むことで外形を形成すると同時に柄を入れる穴を開口することができる。その頃の三条市には型打ち鍛造の技術が無く、技術を習得するまでに二、三年の年月がかかった。次いで、昭和五十一年からは高周波加熱による焼き入れを開始した。職人の勘に頼る焼き入れでは製品にムラが出るが、この方法では頭の硬度を一定にして品質を高めることができた。
三代目社長の須佐武志(修身の弟)は商品の企画化に取り組んだ。あまり知られていないが、昭和四十八年頃までは職人向けの金槌は頭だけが販売されていた。職人は柄を自作し、頭に嵌め込んで自分好みの金槌に仕立てていた。江戸時代からの習慣であったが、時代の趨勢で職人も直ぐに使える完成品を求める傾向が強くなった。木製の柄は使う職人の好み、使用目的によって長さ、太さが微妙に異なっている。武志は全国の問屋に営業にでかけながら、その地方の職人が好む柄の情報を集めることにし、各地の職人が使っている多種類の柄を揃えることにした。現在では、頭の種類は百種類以上、柄も数十種類となり、頭と柄の組合せでは数百種類の金槌を用意できるまでになった。これだけの多種類の金槌を在庫しているのは須佐製作所だけであり、どんな職人からの依頼にも対応できる体制が強みとなった。
小さな企業が金槌だけを七十年も製造して続けることができたのは驚異的なことである。同業者が雲散していく中で須佐製作所が生き残ることができたのは、親子二代にわたる「職人気質という旧い体質からの脱皮」と「技術の近代化」という目的があったからである。
● これからの展開
近年はプレカット工法やツーバイフォー工法などの新しい建築工法が盛んになり、現場で釘を使うことが少なくなってきた。今後は金槌の販売は減ると予想されるため、須佐製作所では金槌の製造技術を転用した園芸道具や佐官用具の開発を行い、商品群を増やしていく予定である。また、「王将の金槌」を指名買いして貰えるように、ブランドの知名度を上げる計画である。
2005年11月08日
●スクール&ホームセキュリティの見本市です。



学校などの安全と警備を目的とした商品が出品されてましたが。
小手先の目新しい商品では売れないと考えますが。
学校などの安全、警備を主体とした見本市で、警報装置や不審者通報装置などが出品されてました。ここでは何社かが「刺股」の新製品を出品していました。最近、学校には不審者が侵入し、凶器を使って生徒が傷害にあう事件が増えてます。このため、その筋からのご注進で校内に「刺股」を常備することが奨励されてます。刺股とは、長い棒の先にU字形をした金属棒を固定したもので、これで侵入者の胴体を押さえるものです。棒が長いので、侵入者が刃物などを振り回しても危害が及ばない効果があります。
その筋が設置を勧めるのですから、商機と見た業者は各種の改良を加えた刺股を開発して展示していました。上段の刺股は、棒の回りに針を出した恐ろしい商品を開発しました。侵入者が棒を握って振り払うのを防止することができるそうです。中段、下段の刺股は、先端がキャッチのようになっていて、これでU字形となった空間に侵入者の足を挟み込みようになってます。侵入者の足を掴んだら、棒を捩じって侵入者を転倒させようとするものだそうです。
業者の方はあれこれと刺股の改良を考えますが、はたしてこんな小細工で侵入者を取り押さえることができるでしょうか。現在、小学校の教員の過半数は女性です。また、生徒の減少により教員の新規採用が減っていて、教員の高齢化が目立ってきています。教員が女性で高齢化していることから、このような刺股を使用できる人がどれだけいるでしょうか。実際に不審者が校内に侵入してきても、刺股を活用できるまでには至らないでしょう。それよりも、不審者を校内に侵入させないような設備をするか、専属の警備員を雇用した方が現実的ではないでしょうか。実際には使えないような商品を開発するのは無駄なことと思いますが。
2005年11月8日
●日本で唯一の墓石の見本市です。




明るい照明の下にあの墓石が多数展示されてました。
ここでも安い外国製品が大半となっています。
墓石だけを商品として商談する唯一の見本市が「ジャパンストーンフェア」です。出店して墓石や石材を展示しているのは石材屋か商社で、来場するのは墓園や墓地に墓石を施工する墓石屋です。会場内には墓石がズラーと並べられていて、お客さまを待っていました。この見本市も数年前は盛大で、出展者数も今回の倍位はいたのですが、景気が低迷して墓石が売れなくなったのか、出展者も来場者も減ってきていました。以前はモダンな新作墓石や奇抜なデザインの墓石が出品されていたのですが、現在はオーソドックスな墓石ばかりで面白さに欠けるようになりました。それでも、墓石の見本市はここだけのため、業界の動向を知るにはこの見本市しか頼りになりません。
現在、国内で流通している墓石の殆どは中国製です。会場に並べられているのは見本品であり、これを売るのではありません。日本から墓面に彫る文字を中国の工場にメールなどで送ると、現地で文字を入れて完成品で発送します。日本の墓石屋はセットになった墓石を墓地に設置するだけです。国際分業が進んでいるようです。国内産の石材でも、加工賃が安いため、一旦中国に輸出して現地で加工し、再度日本に発送するそうです。今までは中国製が強かったのですが、インドからも業者が出展していました。中国製よりもさらに安く完成品の墓石を輸出する、と力説していました。こうなると、「インド人もビックリ」ではないでしょうか。なお、石材屋が墓石屋に販売する墓石の価格は30万円から数十万円程度で、小売価格の半分以下のようでした。
2005年11月8日
2005年11月04日
●氷上町(兵庫県)での講演会

氷上町商工会で講演をします。
近くでしたらご参加下さいませ。
兵庫県丹波市にある氷川町商工会で、12月2日に講演会をすることになりました。
地図で見たら日本海と瀬戸内海の中間にある山の中の町でした。東京から新幹線を乗り継いで5時間半もかかる場所でした。私もこのような遠距離の町に出かけるのは初めてで、二度と行けるかどうか判りません。しかし、姫路、加古川などからは比較的近いので、関西方面にお住まいの方はご参加下さい。
連絡先、氷川町商工会 0795-82-1459
2005年11月4日