2005年05月26日

●NEW環境展で見た商品

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これで売れるかな。社長さん頑張って。

 『NEW環境展』でみかけた『ゴミ収集所の散乱防止網』です。住宅地にあるゴミ収集所では家庭ゴミがポリ袋のまま放置されてますが、カラスや猫などによるゴミあさりで内容物が散乱します。網で家庭ゴミを覆って、野鳥や猫からの攻撃を防止することが行われてますが、網の保管が大変です。
 この社長は上下に楕円形の金具を設置し、ナイロン網を立体形にすることで商品化しました。網の隙間から家庭ゴミを投入すれば野鳥や猫はゴミ袋に触れません。使わない時は上下の金具を壁に折り畳むことで収納することができます。
 一見すると便利なようですが、ゴミ回収の作業員にとっては不便です。ゴミ袋を回収するときには一々ナイロン網を開けなければならず、回収に時間がかかります。社長は初めての商品化で力を入れているようですが、売りにくいものとなりました。今回が見本市の最初の出展とのことですが、前途は多難なようです。
 これは皮肉ではなく、商品を買う人達はその用途と効果を金額と比べてシビアに評価します。価格に見合った効能が無ければ売れません。
2005年5月25日

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●NEW環境展で見た商品

コンポスト.jpg
毎年のように新しく出展されるコンポスト型生ゴミ処理器です。
だれも成功すると考えているようだが、これは売りにくい商品です。

 『NEW環境展』でみかけた『生ゴミ処理のコンポスト型処理器』です。
 家庭から出る生ゴミや食堂から排出される残飯などのゴミ処理は、悪臭が出るのと水分が多いので困ったことでした。そこで、細菌によって生ゴミを分解するコンポスト型の処理器が開発されてきました。処理器の中に生ゴミと少量の菌を投入し、モーターで攪拌すると細菌によって生ゴミは数時間から1日位の間に完全に分解されます。残ったのは肥料となり、体積も小さくなるため運搬が楽になります。
 こんないいことずくめのコンポスト型処理器なのですが、実は問題が多い商品のようです。家庭で使用するとなれば、分解される際に発生する悪臭で部屋の中が臭くなります。業務用の大型機では、攪拌の速度と温度調整に結構難しい制御が必要なようです。こんな理由から家庭用でも業務用でも、その効能の割りには普及しません。実際に使用しているのは、専門の技術者が常時待機している処理工場のような大がかりな場所でしか使用されていないようです。
 理想の生ゴミ処理器という期待があってか、多数の企業が研究し、製品化しているようです。特に、数年前に食堂などから出る残飯や生ゴミの処理を義務付けた産業廃棄物処理法が施行されたときは、160社以上が参入したようでした。この『環境展』でも当時はどこのブースに行ってもコンポスト型処理器が出展されていました。小さな鉄工所から一部上場の大企業まで同じような内容の処理器を出展し、おかしな風景でした。しかし、欠点がわかってきたら、大部分の企業では生産を中止してしましました。現在生産している企業は20社も無いでしょう。今も継続して製造している企業は、それなりに処理にノウハウがあったり、20年以上前から細々と製造している企業だけのようです。
 しかし、そんな経過を知らない企業もまだ多くあるようで、今回も自社開発のコンポスト型処理器を初めて出展しているブースを見つけました。生ゴミ処理のマーケットが大きいので後発企業でも売れるのではないか、と期待感を持っているのではないかと思われます。過去の出展者の実績を調査せずに製品化すれば、失敗するのが目に見えている例といえます。
2005年5月25日

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●フェンスに花を

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奇麗な花には裏がある。ペットボトルの再利用の一つでしょうか。

 『NEW環境展』でみかけた花壇です。フェンスに花を飾りませんか、というのがうたい文句の商品です。無機質な金網のフェンス一面から生花が顔を出し、見た人を和やかにさせる効果があるということでしょう。
 裏側から見ると、使ったペットボトルを逆さにし、中に土壌を詰めて側面に花の茎がでる穴を開けた構造でした。廃棄物を利用し、空中で植栽を行おうとするものです。簡単過ぎて利益が出ない、というのは下衆の勘繰りでしょうか。街を美しくする、という気心には関心しました。
2005年5月25日

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2005年05月25日

●誇らしげな判決文

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こんなパネルは初めて見た。

 『NEW環境展』という見本市に出掛けました。産業廃棄物の処理装置やリサイクルなどの機器、廃品回収の装置が主な出展です。
 そんな見本市会場で、ブースの壁に訴訟の判決文を大きく掲載している出展者を見かけました。出展者は産業廃棄物処理業者、つまり、廃棄物を処理して山の中に埋めるのが仕事です。裁判は宮崎県で提訴されたもので、地元の住人が処理場の設置に反対したものでした。住民の近くに処分場が出来るのは嫌がるものであり、どこの処分場でも住民による反対運動が起こされているようです。この裁判は6年位続き、業者の勝訴となりました。裁判中は処分場の操業を行うことができず、業者は困ってたのでしょう。
 業者としては長年の裁判に勝ってその結末を来場者に告知したいのと、裁判所のお墨付きが出たので堂々と営業できます、という意思表示ではないかと思われます。或いは、操業を中止された反対運動の連中への当てこすりかもしれません。莫大な裁判費用と操業中止による損害があったので、社長としてはこのくらいしないと腹の虫が納まらないのでしょう。
 見本市でこのような判決文を掲示するのは、私は初めて見ました。しかし、ここまでやるかね。
2005年5月25日

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2005年05月23日

●ニッチ企業育成連続セミナー始まる

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新潟市で開催された育成セミナーです。
これから6カ月間頑張りましょう。

既にご案内させて頂きましたが、5月20日より新潟市にある『財団法人にいがた産業創造機構』のご尽力で、『ニッチ企業育成連続セミナー』が開始されました。これから10月まで6ヵ月の間、毎月1回のセミナーが開催されることになりました。
 新潟県内から約45名が参加され、熱心に聴講されました。この手の講演では、途中でお昼寝される方が結構多いのですが、今回はお昼寝される方は有りませんでした。第一回目は『ニッチ企業総論』ということで、ニッチ企業主を目指す人達の心構え、思想などを解説しました。ニッチ企業はベンチャー企業とは全く性格の異なったものであり、水と油のような関係にある、というのが私の持論です。ニッチ企業を興す人、将来はニッチ企業主になりたい人にとって、今までにはない経営思想を理解して頂かなければ成功しません。私が取材してきたニッチ企業主の性格、思考、論理などを総合的にまとめて説明させて頂きました。
 『ニッチ企業育成セミナー』という講演は、過去に開催したことは多分無かったことでしょう。私が国内で始めて講演したのではないか、と自負しています。しかし、このような講演は私にとっても始めての試みであり、講演の前に勉強しておかなければならず、準備が大変でした。2時間半の長丁場を何とか乗り切ることができ、先ずは一安心といった心境です。
2005年5月23日

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2005年05月18日

●寂しくなった「ビジネスショウ」

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戦後から続く名門の見本市なのだが、このまま続けていいのだろうか。
政府外郭団体の一種の弊害ではなかろうか。

今年も『ビジネスショウ』が開催された。日本経営協会、東京商工会議所が主催し、昭和24年から続く由緒正しい見本市である。今回で56回目となったのだが・・・・。
 出展者の多くはコンピューターソフトの会社が目立ち、ビジネス用ソフトウエアの展示が大半であった。昨今流行りのIT関連についての展示もあり、まずまずの内容である。しかし、会場には活気が無いのである。来場者は3日間で2万人を想定しているとのことであるが、それ程の人数とは思われず閑散としていた。出展者もキャンセルがあったようで、会場内には写真にあるように一部では空き地が目立っていた。
 かっては企業の事務部門の合理化のために、最先端の事務機器やパソコンが出展され、最新鋭の商品は新聞などで特別に報道されていた。会場内では人込みが溢れて活気があり、背広姿の来場者がカタログを入れた紙袋を持ち帰る姿があった。昭和40年代に晴海見本市会場で開催していた頃に比べると全く寂しい雰囲気である。
 どうしてこのように侘しくなったか、と考えると、『ビジネスショウ』が時代に合わなくなってきたのではなかろうか。戦後から昭和30年代までは、事務機器の総合見本市はこの『ビジネスショウ』しかなく、企業が新製品を発表する場が限られていた。だが、現在ではコンピューター、パソコン、ソフトウエアを専門に展示する見本市が各種開催されている。それらは極めて専門化されていて、分野は狭いが世界の最先端の技術だけが展示されるようになってきた。顧客の方も、広く汎用化された事務機器やソフトウエアであってはもの足らない。そもそも、汎用性のあるようなコンピューター関連の機器やソフトウエアは街の電気店に並んでいるし、インターネットで簡単に閲覧することができるのである。顧客が見本市で求めている事務機器やソフトウエアは、これから発表されるような商品か、一般には実物を見る機会が少ない特殊な商品なのである。
 かっては、国内の一流企業は競って出展していたのだが、現在は出展してもメリットが無くなり、出展者は中小のソフトハウスが目立っている。また、大手企業も出展しているが、昔からの付き合いで出展しているようで、説明員もやる気がなさそうである。
 『ビジネスショウ』の主催者は社会の変化に対応できす、栄光のあった昔の時代をそのまま引きずってダラダラと見本市を開催しているのではなかろうか。主催者は社団法人であり、半分官庁のような団体である。惰性で見本市を続けているのか、一種の既得権で続けているのか判らないが、そろそろここらで開催を中止するか民間団体に委譲すべきではなかろうか。なお、後援、協賛の団体は総務省を初めとして、多数の協議会などが名を連ねている。バックが多すぎて身動きがとれないのだろうか。そろそろ、このような政府外郭団体が主催する見本市は引き際ではなかろうか。
2005年5月18日

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2005年05月16日

●連載第2回

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自転車安全用具のトップメーカー「ヨシオ」。
細かい商品ですが、零細企業が全国を制覇するのは難しかった。

自転車用安全機器のトップメーカー、『ヨシオ』
● 下請けからメーカーに
 走行する自転車は軽くてふらふらするため自動車と接触し易く、人身事故につながる。特に、夜間では危険であり、暗闇の中で小さな自転車をドライバーが見つけるのは難しい。市販の自転車の泥除けやペダルには小さな反射材を取り付けるられている。だが、小さな反射材だけでは心もとなく、交通事故を防止できにくい。ヘッドランプの光を確実に反射させ、自転車の位置を認識させる安全用品が必要となる。
 足立区の『ヨシオ』は、先代の社長が昭和23年に創業した典型的な下請け企業で、三輪車の部品の製造をしていた。二代目の現社長、小泉俊夫氏に代替わりとなってから、自社開発の商品を販売し、下請けから脱皮することが悲願となった。ふとしたことからオリジナルの自転車用反射安全用品を開発し、この業界でのトップメーカーに変身した中小企業である。
● 開発のきっかけ
 平成元年頃、夜間に小泉社長が自動車を運転していたとき、左折しようとして左側にいた自転車と接触しそうになった。暗かったので自転車の姿を見つけられなかったのである。自転車に取り付けてある反射材は後方からの光では反射するが、側面からでは反射できない。これが見にくい原因であった。この経験から、自転車にどの方向からでも反射する安全用品を開発すれば事故を防ぐことができるのではないか、と思い付いた。
 ちょうどその頃、社内には大量の反射材料が死蔵されていて、その処分に頭を悩ませていた。この材料を自転車の安全用品として製品化すれば、不良在庫を一掃できるとひらめいた。同時に、自転車のハンドルに装着してあるゴムのグリップの空気穴には、反射材を簡単に取り付けることができると考えた。
 こんな連想により、グリップの空気穴に止めピンを挿入し、止めピンの先端から反射材を鎖で垂れ下げる反射アクセサリーを思い付くのには時間がかからなかった。苦労したのは止めピンである。グリップの空気穴に一度差し込んだら抜け落ちないようにしなければならない。弾性のあるバネを独特の形に曲げることで抜けない構造のピンが出来上がった。
 この反射アクセサリーに『ほたる君』と名付けた。左右のハンドルの先端から鎖で反射材が垂れ下がり、女性のイヤリングのようになった。風によって反射材が揺れたり回転すし、どの方向からでも光を反射することができる。暗闇であってもヘッドライトからの光を反射して自転車の存在を認識させることができる。自動車の左右で点灯している車幅灯と同じように、自転車の車幅灯の機能を持っている。今までにない、全くのオリジナルの自転車用の安全用品となった。
● 販路の拡大に努力
 『ほたる君』の量産は自社設備で容易にできたが、問題は販売方法であった。下請け仕事を続けてきたため、オリジナル商品の販売は始めて取り組む仕事であり、社内の誰も経験したことが無かった。手探りで販売ルートの開拓をすることになった。
 まず、定価を三百八十円(現在は五百円)に設定し、自転車用品の問屋に販売を依頼してみた。だが、いつまでたっても売れず、全品返品されてしまった。ヨシオでは半額の百九十円で出荷しても十分に採算が取れるが、こんな定価では流通業者が潤わない。問屋、小売店の立場を考えず、価格設定を間違てしまった。流通機構の仕組みを知らなかったのであった。
 次に、近所の自転車屋、クリーニング屋、八百屋などに頼み、店頭で販売してもらうことにした。期待していた自転車屋では全く売れなかった。後で考えると、顧客が自転車屋を訪れるのはパンクしたとき位で、年に数回も無い。自転車を日常使用しているからといっても自転車屋を頻繁に訪れているのではなかった。予想に反して、良く売れたのがクリーニング屋であった。クリーニング屋の顧客の多くは自転車で来店する。店頭で用事を済ませている時に、目に付いた『ほたる君』を買ってくれた。クリーニング屋まで乗ってきた自転車と店先で販売している自転車用の商品が結びついていたからであった。自転車に関連した商品であるから、自転車屋で売れるものではなく、マーケティングの失敗であった。
 みやげ物屋、スーパーなどの考えられるルートに商品を持ち込んだが、同時に宣伝活動も行うことにした。隙間のような商品では、その存在を周知させなければ売れないからだ。だが、宣伝費はかけられない。そこで、軽井沢の貸自転車に目を付けた。観光客が利用する貸自転車に取り付けておけば親しみが湧き、どこかで買ってくれるであろうと予想したからだ。貸自転車屋に頼み、三千台の自転車の全てに無料で取り付けた。軽井沢の貸自転車に見かけないアクセサリーが取り付けられたので、テレビ番組で取り上げられ、知名度は上昇した。
 発売した当初は全くと言っていいほど売れなかった。ふと、定価を付けないで配布するノベルティー商品に利用できないものか、と思い付いた。公共機関が買い上げて、無償で配布して貰えるのなら大量にさばくことができる。区役所、地元の警察署に足を運び、交通安全のキャンペーンのためのノベルティーに採用して貰うように働きかけた。後になって交通安全協会が買上げてくれ、全国に配布してくれるようになった。
● これからの展開について
 新商品は、売る場所、売る方法を熟知し、適正な流通ルートに乗せなければ売れない。当たり前のことであるが、ヨシオにとっては未知の世界であった。一年位の間にマーケッティングから広告までの、販売に必要な常識を全てこなさなければならなかった。この努力により、平成三年から順調に売れ始めるようになった。オリジナルの『ほたる君』はヒットし、現在では毎年五十万個を出荷できるようになった。
 これからのヨシオは、事業を三本柱に分けていく予定である。第一が従来からの賃加工による下請け仕事である。利益は薄いが安定した売り上げを確保でき、親会社とのつながりから新技術や流行などの情報を入手できるメリットがある。第二は、今まで続いているほたる君のような交通安全を狙った自転車安全用品である。第三は、オリジナルの防犯用品である。世の中が不安になって犯罪が増えてきたため、安全をテーマとした商品が必要とされてきた。防犯ブザーや防犯ネットのような、中小企業が得意とする分野での防犯商品の開発に力を入れていく予定である。

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2005年05月10日

●ビューティワールドでは

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写真。
 ビキニ姿のおネーチャンです。エステ機器の会社に雇われ、チラシを配ってました。産業機械や工業製品の見本市では、チラシ配りのおネーチャン達はミニスカートかへそ出しルックが精一杯です。こんなチラシ配りばかりが見本市に出没すると楽しくなるのですが。
 今回は撮影させてくれたが、以前、ある見本市でTバッグでブラジャーも半分以下の際どい衣装でチラシ配りをしていたおネーチャンを見かけたことがあった。水着というよりも下着に近いような姿であった。この時は、さすがに撮影は許可してくれなかった経験がある。
2005年5月9日

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●ビューティワールドでは

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写真上。
 イタリアの会社からの出展で、最新のエステの技術を実物の人間を使って説明していました。こんなデモンストレーションは滅多に見られません。男性からすれば楽しいのですが、会場の女性(エステの従業員)からすれば、これから導入する技術であり、真剣に観察されてました。この日のデモンストレーションを見学し、国内のどこかのエステサロンでは明日から活用されるのではないでしょうか。しかし、エステで施療されるお得意様にとっては、こんな風に最新技術が伝達されているとは考えもしないでしょうが。
写真下。
 バーゲン会場ではありません。見本市会場の一部では、プロ用の化粧品、美容器具の特売を行っています。この日だけは通常価格の3割引き以上の価格で売っているようです。プロ用の商品はどこでも売っているものではなく、しかも特売のため、これだけを目当てに来場する美容院の経営者もいるようでした。
2005年5月9日

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●女性美の世界

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エステ、美容は女性だけの世界でした。

『ビューティワールド』という見本市に出掛けました。世界的にも有名な見本市のようで、同じ系列の主催者は香港、ドバイ、モスコー、フランクフルト、メキシコ、ブエノスアイレスでも毎年開催しているらしい。
 出展業者は業務用化粧品、ネイル商品、ダイエット関連商品、ヘアケアー商品、アロマテラピー関連であり、来場者はエステサロン、美容院、ネイルサロン、サウナ風呂の経営者が主体である。『身体の美』を追求する女性のための展示会であり、出展されている商品、ブースには、男性が見たことのないようなものばかりでした。女性はこのような商品、サービスに大金を投じ、美しくなることを求めているのだ、と感心しました。なお、来場者の半分以上は若い女性ばかりですが、彼女らはエステサロンや美容院に勤める従業員であり、最新の美容技術を入手するために参加しているのです。美容関係者は服装や化粧がケバく、会場内は華やかな雰囲気でした。なお、会場内では韓国語、中国語が飛び交い、近隣国からの見学者も異常に多いものでした。日本は美容、エステの産業では東南アジアでは先進国なのです。
写真上。
 美容矯正の教育をしている『勝山浩尉智の専門カレッジ』のデモンストレーション。私は知らなかったのですが、この勝山氏はエステの業界では神様みたいな人だそうです。しかし、パンフレットにある授業料は結構高かった。
写真下。
 ウッグの試着。髪を長く見せて増量するために、人工髪を髪の根本に接続している。机の上にある細長いものが人工髪で、これを何本も本物の髪に連結していくのです。業者が無料で来場者に試着していました。
2005年5月9日

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2005年05月08日

●取材先の社長が亡くなるジンクス

私が出会った社長の中には、取材後に急死される方もみえた。
それで私には変なジンクスが付いた。

 私が取材では、『私が取材した社長がその後に急死する』というジンクスがある。
 雑誌『φ』の連載が終わり単行本にまとめるため、取材してから4年後に各会社に連絡して訂正する点を問い合わせる作業を行った。その際に、過去に取材してきた25社の社長の内で4名が亡くなられていた。マイクロフォン会社の社長、住宅模型の会社の社長、ティーバッグ会社の社長、檜風呂会社の社長である。その後に、月刊日経ベンチャーの連載で鰹節会社の社長を取材したが、雑誌が発行された日にその社長は亡くなられた。私が貧乏神ではなく、偶然の一致なのであるが、何故か亡くなられる確率が高い。
 その原因を考えてみると、もともとニッチ企業が成立するのは社長の年齢が高い時期から始めている。40代、50代から隙間商品を開発し、それから販売するのであるから10年は経過している。すると、隙間商品がヒットしてニッチ企業として成り立っている時には社長の年齢が60歳から70歳に達していることになる。その頃になって私がニッチ企業として見つけ出し、取材にでかけるのであるからもう高齢である。そんな理由からか、私の取材の後で亡くなられる確率が高いのであろう。
 現実には若いニッチ企業の社長も多いので、必ずしも私のジンクスが当たっているとは限らない。できれば、私もこんなジンクスとはおさらばしたいのであるが。
2005年5月8日

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2005年05月07日

●悪質な社長

世間には性格の捩じれた社長もいるようだ。
私のであった最悪の社長は人間性が疑われるような人物だった。

 今まで出会った社長の中で一番ふざけた人物は、宇和島の花火会社の社長であった。事前に取材の目的を具体的に提示し、取材ではどのような内容を聞き取りたいか、を知らせておいた。東京から飛行機、列車を乗り継いで宇和島まで出張したが、これは大旅行であった。駅前に一泊して、翌朝会社を訪問することになった。
 社長室で取材を始めたのだが、先ずは江戸時代のご先祖様の経過から始まり、明治時代の先々代の職業などをユックリと丁寧に解説してくれた。次いで、戦後の親の職業と生活振りなどの説明と、親の面倒を見るために大学を中退して親の仕事を引き継ぎ、苦労した話などが続いた。ここまでの流れで1時間半ほどがかかった。私の取材の目的は隙間商品の企画と開発であり、ここの部分だけを詳しく聞き取りたいのである。ご先祖様が武士であったかどうかは関心がない。当の社長もそれを知っていたはずである。無関係な話が延々と続き、最後の30分になって花火を開発した動機や経過をチョロチョロと話しはじめた。それも具体的ではなく、ポツポツと何の脈絡もなく説明するので全体像が判らないものであった。不明瞭な点を問い正すと、とぼけたような返事をしてきた。全く事情が掴めない取材となった。取材の最後に、社長からは「マスコミは面白可笑しく表現するので嫌いだ」とぬかしてきた。工場の内部の見学も断られ、まともな取材とはいえない結果となった。予めこちらの意向を伝えてあり、見本誌も送ってあるのに取材には全く非協力的であり、私の取材を小馬鹿にしたような態度であった。
 しかしながら、宇和島まで出張したため記事をボツにする訳にはいかない。あちこちから資料を集め、なんとか読んでも可笑しくない内容に仕上げた。酷い仕打ちをする社長であった。取材に協力できなのなら、事前に断ってくればいいはずである。宇和島まででかけて無駄足を踏んだばかりか、嫌な思い出となった。
 その後、この会社と社長が気になったので関係者などから情報を入手してみた。すると、社長の因業な性格などが判ってきた。相当に歪んだ性格を持っているようで、共同経営していた実弟とは経理などのトラブルで裁判ざたとなり、骨肉の争いが続いているらしい。私ばかりに酷い仕打ちをしているのではなく、親族でも極めて冷酷な仕打ちをしていたらしい。また、花火のシェアーでは国内80%を占めて日本一、と自慢していたが、これも怪しいものであり、売上は年々低下しているらしい。銀行からの借入も限度になっているようで、会社の内情を知られたくないために私に工場内を見させなかった、ということが判ってきた。
 その反面、マスコミ操作は昔から上手いようであり、地元の新聞の取材では好成績であり、業績が伸びているような説明をしていたようだ。現に地元紙には、優良地場産業であってシェアー日本一である、というインタビュー記事が何度も掲載されていた。私の取材では、単なる契約のフリーライターと軽く見たのではなかろうか。マスコミを手玉に取って、利用できる相手には調子良く、そうでない者には冷淡な態度を取ってきたのであろう。
 こんな悪質な性格が捩じれた社長の会社は早く無くなって欲しい。今でもこの会社の名前を見つけると、あの取材の時の不快な思いが沸いてくる。
2005年5月7日

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●呆れた社長

中小零細企業の社長の多くは朴訥で正直であった。
しかし、そうでもない社長にもであった。

 私の取材では中小零細の製造会社ばかりであり、技術系の社長から話を聞くことが大半であった。モノ造り一筋の人生を経た人が大半であり、コツコツと堅実に会社を経営してきた人であった。このような社長はどちらかと言えば朴訥であり、会社創設から現在までの道のりを正直に説明してくれた。私の質問にも丁寧に答えてくれた。このような取材では、帰ってきてからその内容をまとめて一つの物語に作成する際に、その根幹がスラスラと続けることができる。つまり、取材で聞いてきた話の筋道から文章を作成するのが、何のよどみもなくきれいにまとめることができる。
 だが、取材してきた社長の中には、文章を構築する際に途中でどうしても引っ掛かって、上手く文章が続かない場合がある。これは何が原因かと言えば、その社長が取材の途中で嘘を言っているのである。2時間位の取材の間に、途中で大きな嘘が混ざり、文章の前後で辻褄が会わなくなる現象である。あまり数は多くなかったが、平気で嘘を言う社長もいた。
 チタンのナイフを製造していた社長は、最初から最後まで過去の自慢話が続いた。私の取材の目的である、隙間商品に出会ったキッカケ、製造の困難さ、販売の工夫などには答えようとはしなかった。社長からは、「俺はいかに儲けてきたか」「他人が気の付かない時から目をつけたのが優れていた」などの自慢ばかりであった。この当時は取材に慣れてなかったので、相手の機嫌を悪くしてまでも疑問点をしつこく質問することはできなかった。こちらの聞きたい点は、固いチタンからどのようにナイフを製作するかであった。取材から戻ってきて、録音テープを数回聞き返すと、おぼろげながら製作過程を推測することができた。粉末状のチタンを型に入れてプレスし、焼結してナイフの形に加工するのである。その形成の際に、刃先と背中側では粉末チタンの種類を変え、切れ味を良くすると同時に粘性を持たせているのが特徴であった。この推測が正しいかどうかをその社長に問い合わせたところ、社長からは掲載拒否の返事が戻ってきた。私の推測が当たっていて、外部には秘密の製造工程のようであった。社長が自慢話ばかりをしている内に、本人が気がつかないで秘密にしておくべき製作過程を漏らしていたのであった。多分社長はビックリしたのであろうか。それとも、ど素人なので製作過程は判らない、と思ったのであろう。何れにせよ、社長の考えていた取材は、彼が一代で築いた会社の自慢話を掲載してもらうことであったようだ。この取材はボツとなった。
 もう一人の取材は、溶解炉のメーカーの社長であった。このメーカーの溶解炉は業界では評判の良いものであったが、社長自身は不愉快な人間であった。取材で学歴を問うと、「歯科大学卒で歯医者だったが、他人の口を覗くのが嫌で会社を興した」と返事した。しかし、卒業した年度からしたら歯学部を卒業できるような年齢ではなく、辻褄が合わない。関係機関に問い合わせたところ、その大学に付属した歯科技工士養成所の卒業であった。歯科医師ではなく技工士だったのである。現在は功成り遂げて業界でもトップの一国一城の主である。技工士であることを恥じる必要は無いはずである。堂々と過去の業種を述べれば良いはずだが、学歴を詐称していた。そこまでして飾る必要はないと思うのだが、飾りたくなる性格なのだろうか。この社長と取材しているとき、社長から私を試すような言葉があり、不愉快であった。
 中小零細であっても、業績を上げているのであり、小さい会社といっても恥じる必要もなければ飾る必要もない。もっと自然体で自分の過去を話すべきではなかろうか。
2005年5月7日

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2005年05月02日

●ヨタ出版社のインチキ雑誌

零細企業には変なヨタ出版社が取材することがある。
ヨタ出版社と間違えられて困ったことがあった。

 あちこちの零細企業を取材していると、その会社の社長から『おたくの取材ではお金を請求しないのですか?』と言われることがしばしばあった。私よりも前にその企業を取材した出版社からは、『取材協力費』或いは『記事掲載費』と称して金銭を請求したことがあったようだ。また、電話で零細企業に取材の申し込みをすると、社長からは『金がかかるような取材はお断りしますヨ。』と断られることもあった。
 これはどういう現象かと説明すると、雑誌を発行している出版社の中には、取材に対して金銭を要求してくるところがあるためである。一般には馴染みが薄いのであるが、世間を知らない中小零細の企業主を相手にして、悪どい取材をする出版社の存在がある。このような出版社では、少し余裕のある中小零細企業を見つけ出し、取材を持ちかけるのである。そして、取材が終わった段階で、発行する雑誌のページ数に応じた取材協力費を請求する。請求金額は記事の編成と内容により、十万円程度から数十万円までの範囲があるようだ。私が取材してきた企業の中には、実際に支払ったところもあった。
 どういうカラクリになっているかと言えば、その出版社(以下、ヨタ出版社とする)からすれば一種の宣伝広告費の請求なのである。ヨタ出版社では月刊の経済雑誌を発行していて、書店で販売されているし、時々は新聞にその経済雑誌の広告が載ることもある。決してインチキな雑誌を発行しているわけではない。しかし、その雑誌はどこの書店でも購入できるというのではなく、都内でも紀伊国屋などの限られた書店の雑誌コーナーの隅に申し訳程度に置かれているだけである。それでも雑誌コードを持ち、毎月発売している実績のある一応は立派な月刊雑誌なのである。問題は、ヨタ出版社の取材方法と記事の内容である。
 ヨタ出版社が発行する経済雑誌の大部分の記事は、中小零細企業の業績や、社長の奮闘記あり、ヨイショ記事と考えればよい。取材される企業は、どちらかといえば地方に所在し、一代で個人企業を立ち上げて業績を上げつつある企業である。夫婦で始めた事業が伸び、従業員も3、40名まで雇うようになって余裕が出始めたような企業が一番狙われているようだ。そんなターゲットをヨタ出版社が見つけ、甘言で取材を行って記事にするのである。協力費を貰っていることから、その会社の良いところだけを活字にするのは当然である。読んでいても面白くも何とも無い内容である。
 こんなインチキ雑誌が成り立つのだろうか、と疑問に感じるかもしれない。しかし、ヨタ出版社は潰れずにインチキ経済雑誌を今も発行し続けている。これには取材される中小零細企業の方にも一つの要因がある。特別な才能がある訳でもなく、社会貢献してきた実績がある訳でもないが、地方都市で一旗揚げた零細企業主にとってはその事業を自慢できる場が無いのである。といって、貧乏をしている訳でもなく、数十万円程度の金銭は惜しくもない経済状況なのである。そんな時には、『俺も、一回は雑誌に載りたいな。』、『今まで会社を大きくしてきた苦労を活字にして貰いたいな。』というような心理になるらしい。事業が上手く回転してきて生活に余裕が出てくると、どの企業主にも名誉欲が出てくるらしい。そんな個人企業主の心理を汲み取り、ヨタ出版社では金銭を受けることの代替えとしてインチキ雑誌に社長の一代記や経営方針などを掲載するのである。
 ヨタ出版社からすれば、どこのマスコミを扱ってくれないような平凡な零細企業を活字にして雑誌に掲載する。取材された零細企業主からすれば、一応は成功してきた事業を一般人に読ませたいという願望がある。社長からヨタ出版社に支払った取材協力費は、広告宣伝費として経理で落とすことができる。こうして、零細企業主とヨタ出版社の思惑が一致し、内容の無いインチキ雑誌がいつまでも続く土壌ができあがるのである。
 このようなヨタ出版社が活動してきたため、良心的な零細企業ではマスコミ全体について良からぬ偏見が植えつけられていた。『雑誌の出版社では取材で金銭を請求するのが常套になっている。』、『マスコミは金でどのようにでも動く。』などの悪い方に見られることである。私が零細企業を取材するときに、時々、ヨタ出版社と同等ではないかと判断され、大いに困った経験があった。
 私が今まで付き合ってきたマスコミは、日経新聞社、ダイヤモンド社などの大手出版社ばかりであった。それらは紳士的であり、取材では正確さと客観性を重視し、決して協力費を請求する企業ではない。全国に数多くある出版社の中のほんの少数のヨタ出版社の悪行のおかげで、私を含めて真面目に取材を行っている正規の出版社までもが悪いように解釈されることは困ったことである。
 全国の中小零細企業の社長様にお願いしたい。まともな出版社とヨタ出版社を見分ける力を育成して下さい。
 2005年5月2日

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●取材先でのご接待

取材では時々御馳走になることもあった。
期待はしていなかったが、あまり回数は多くなかったのが実際でした。

 取材していて有り難いのは、取材先から接待して頂けることである。限られた予算の中で、ギリギリの経費で取材しているため、接待して頂けると気持ちの良いものであった。卑しいようであるが、フリーの取材者としては千円、二千円の経費も自腹なので心から有り難いことであった。企業紹介をする上では、取材先からの饗応があってはいけないが、許容できる範囲であれば受け入れた。私の収入が激減していた時期であったので、出張先で食事を奢って貰えると、涙が出るほど嬉しかった。
 接待はそれほど多いものではなく、山形に出張した時に温泉旅館に泊めてもらったこと、愛知に出張した時に社長の自宅に泊めてもらったこと、大阪に出張したときにホテル代を負担してもらったこと、の3回だけであった。それ以外の接待では、晩飯を御馳走になったことである。それでも回数は少なく、全部で数回もなかった。大阪では、私の大好きな河豚のフルコースを御馳走になって感激した。だが、大半の取材先では、インスタントコーヒーを1杯だけ出されてお終い、ということばかりであった。その会社から頼まれて取材するのではなく、こちらから無理を言って取材を申し込むのだから当然かもしれない。
 1度だけ『お車代』として1万円の入った封筒を渡してきた社長がいたが、さすがにこれだけは困った。相手としては感謝の意味を込めてポケットにねじ込んできたのであるが、現金だけは受け取れなかった。この現金は後日書留便で丁寧に理由を述べて返送した。
 私の取材で一番困ったのは交通手段である。駅の前に会社があれば不便ではないのだが、ほとんどの取材先は駅から離れているか、山の中に設立されているケースばかりであった。こんな場合は駅からタクシーを利用するのであるが、結構高い交通費となってしまう。取材費が乏しいため、きついものであった。事前に連絡して、駅まで迎えにきて頂いた取材先は有り難いものであった。数千円のタクシー代の出費でも私にはきついものであったからである。しかし、往復とも自腹でタクシーを利用するような場合には、泣きたくなるような気持ちであった。取材が終わって会社から出るとき、『駅まで送っていきましょうか』と言われると助かったような気持ちになることが多かった。
 中小零細企業では、マスコミからの取材には慣れていないであろうが、せめて駅までの送迎だけはお願いしたものである。
 2005年5月1日

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