2005年02月26日

●老社長のボロ会社

borokaisya.jpg

久しぶりに老社長の元会社にでかけてみた。
ここが私のニッチ企業に目覚めた原点である。

 私にニッチ企業の運営について始めて教えてくれた、老社長の会社である。どこにでもありそうな吹けば飛ぶような安っぽい造りの建物である。外観から判断したら、この建物の中で高収益の商品を製造しているとはだれも気づかないであろう。
 しかし、この会社はもう存在しない。跡継ぎがいなかったので5年前に会社を清算し、閉鎖している。零細会社の運営を解説してくれた老社長は、3年前に92歳で大往生した。老社長は巨大な利益を儲けることはなかったが、借金はしなかったので精神的に楽ではなかっただろうか。会社は小さくとも、親会社や銀行などに神経を使わずに気儘に運営してこられたのではなかろうか。人生を自分のペースで楽しく生きていけたので、それはそれで幸せではなかっただろうか。ご冥福を祈ります。
平成17年2月26日

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2005年02月25日

●取材先の条件を決めた

企業取材では取材先を決めることが大切である。
マスコミ職業人のように安易なことはせず、独自の基準で取材企業の条件を決めた。

 私の企画した『中小零細企業で特異な商品を製造・販売している企業の商品開発と社長の経営哲学』を取材する案は、平成10年(1998年)夏頃に採用された。翌年平成11年1月より、月刊誌『φ(ファイ)』に連載できることになった。
 このため、取材先として最適な企業を見つける必要性が発生してきた。雑誌記者などのように、日常業務として取材を取り扱っている人達は、取材先を見つける作業は極めて簡単な方法で行っている。過去に新聞、雑誌、テレビなどで取り上げられた企業の内で、一番都合の良さそうな企業を取材先に決めているのだ。最近ではインターネットで特定の単語を設定して検索し、マッチングした情報により取材先を決めているようだ。また、企業からの売り込みにより、毎月多くの資料が郵送されてくるため、その中から適当な企業を選ぶこともある。
 取材先を探すこと、取材先を決める作業は最も楽な方法で行っているのが実情である。要するに手抜きであり、マスコミとして自己の足で社会を探ることまではしていないのである。雑誌記者達の多くは、他社の雑誌をペラペラと捲ったり、新聞のスクラップの中から取材先を引き出しているのである。書店で販売されている雑誌を良く観察すると判るのだが、同じ企業を複数の雑誌社が記事にしていることを見かける。これは、その時の時流に合わせて取材し易い企業に多くの雑誌社が集中し、同じような傾向の記事を別々に掲載しているからである。どの雑誌を見ても、同じ企業が同じような説明で解説されているのにウンザリすることがある。それは、記者の情報収集の手抜きから発生したものである。
 目立たない企業を拾い上げ、それを成長させようとするマスコミ魂を持たず、ただ無難な内容の記事しか掲載できない記者が多いのである。関東圏には、編集者、ライターを生業としている人達が約3万人いると言われる。それらの殆どは自己の氏名で単行本を発刊できるまでの実力を育成できず、日々の生活のために締切りに追われた人生を終えるのである。その原因は、取材に時間と労力を使わずに安易な方法でお茶を濁しているからである。
 そんなマスコミの内情を知っているため、私の中小企業取材の連載では次の条件を課した。
 ①実際に商品を手に取ってみて、納得できるものである。
 ②事前に社長と会話して、人柄、経歴などが良好である。
 ③今までにマスコミで取り上げられた体験が無いこと。
 ④業界でのトップ企業か、オンリーワン企業である。 
 ⑤企業の経歴が10年以上あって、黒字であること。
 この条件に合致しない企業の取材は絶対にしないことにした。単純なようであるが、実はこれは大変困難なハードルなのである。こんな条件に当てはまる企業は滅多に出会わないからである。ここから私の第一の苦難が始まったのである。
2005年2月24日

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2005年02月22日

●夢と空想

平凡な人にとっての夢とは。
楽しく話しているだけでは目標には達成できないが。

 前回は夢とその実現について述べてたが、今回は『夢と空想』について考えてみた。どうも、私が考えている『夢』とはいつか実現できるものであり、私が考えている『空想』とは絶対に実現できないことのようだ。一般の人(というよりは、私以外の人である)の範疇にある『夢』とは実現できないことであり、『空想』とは思いもつかないような世界のことらしい。
 以前、私の事務所では若い男をバイトで雇っていた。この男は時々夢みたいな話題をすることがあった。スポーツカーを買いたい、豪華な海外旅行ツアーに参加してみたい、港区のマンションに住んでみたい、などと言った話題であった。バイト君の身分ではまず不可能であり、将来も無理な内容が多かった。若い時にはいろんな夢があるのだな、と考えていた。
 ある時、そのバイト君に、『夢を持つなら実現できる夢を持ちな。小さな夢から順番に実現すれば大きな夢も実現できる。できないような夢は口にするな。』と説教したことがあった。私の説教がきつかったのか、バイト君は逆ギレしたようで、私に大きく反発してきた。その時のバイト君は、『社長は多少は軍資金があるから、金を出せば実際に実現できることが多いんだ。俺たちのような貧乏人は夢を実現したくともできないのが現実なんだ。貧乏人は夢が実現できないことが判っていても、その夢を話しているのが楽しいんだよ。』と大いに反論をしてきた。この言葉には、なるほどな、と感心させられた。彼にとっては、実現できない目標や希望が『夢』であり、夢を話している間は現実の立場を忘れていて楽しいのである。これは名言であった。
 その言葉を聞いてから、社会を再度新しい目で観察してみたらその通りだった。喫茶店、レストランで会話するカップルの話題、酒場で同僚や知人と会話する話題などは正に『夢』なのであろう。『多分、絶対に実現できない。或いは、今の収入では買えないような高額の商品』について、実現できそうにもない話を話題にしていても、当人達は楽しいのである。同時に、会話しているお互いの心の内では、実現できないことが判っている。口では夢を楽しく説明し、相手もそれをさらに補強するため、まさに『夢が広がっていく』ことになる。だが、喫茶店や酒場を出たとたん、夢の世界から現実の世界に戻ることになるのだが。
 そんな『実現できない夢』を持って生活をしている人達が悪いとは思わない。大半のサラリーマンは、毎月の月給の金額が決まっていて、その範囲でしか活動できない。それが40年間も続くのである。サラリーマン生活は単調であり、特別に昇進しない限り大きな成果も得られないであろう。平凡なサラリーマンが、今までの夢を実現させるための資金を入手するには二つの方法しかない。宝くじに当たるか、遺産相続するかである。どちらも現実味の薄い話である。そんな人達にとって、『夢』とは一種の『希望』であり、実現できなくともそれが現実逃避なのではなかろうか。
 このバイト君からの逆襲で、私は生活態度を変えることにした。すなわち、私は『夢』や『空想』を口にすることを止めた。私の夢や空想を他人に説明しても、それは相手にとっては楽しいものではないからだ。
2005年2月22日

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2005年02月21日

●実現できない夢は捨てるべきでは

夢の無い男、と言われてきた。
しかし、夢を実現させるためには実現できない夢は捨てるべきだ。

 私は女性にもてたことが無い。その理由は、女性からすると、私には『夢』が無いかららしい。複数の女性から、夢が無い男、と言われ、持てない原因がやっと判った。女性からこのように評価されていることに気がついたのは、私が30歳を過ぎてからであった。
 では、どのような点で夢が無いと言われているのかを分析してみたら、私の夢が現実的に近いことであった。私の夢の殆どは近未来に実現可能なものばかりであり、非日常的な夢を持っていないことである。
 例えば、ハワイに海外旅行をして遊んでみたいという夢を語ったとする。女性の場合には、未だ行ってみたことのないハワイの風景、観光地などをガイドブックからの知識であれこれと話題に、もしハワイに出掛けたとしたらどんなに楽しいかを語り合うのである。これに対して、私がハワイ旅行を語るとすれば、出発日の目標を決め、予算を考え、旅行会社の選別が話題となる。もし、資金の余裕がなく、ハワイ旅行が出来そうもないと判ったなら、私は海外旅行を話題にすることはしない。実現できそうも無いようなテーマであれば、あまり話題にもしなかったようだ(現在でもそうであるが)。半年、一年の間に実現できるようなテーマばかりを話題にするだけではない。理論的に考えて、十年二十年後であれば実現可能性があるようなテーマであれば口にする。要するに、実現が不可能なテーマは、私にとっては夢ではなさそうだ。或る人からは、『あなたの考えているのは夢ではなくて、計画だ』と言われたこともあった。
 ニッチ本を発刊しようとするのは私の長年の夢であった。この夢を実現させるために、まず雑誌社を攻略し、取材先を見つけて交渉し、原稿を期限までに書き上げなければならなかった。雑誌に連載されてから単行本を発行するには、出版社を探して交渉し、内容の検討と打ち合わせをし、校正しなければならない。単行本を発刊してからも出版記念会に出席して宣伝しなければならず、全て期限を決めて順番に処理していかなければ成り立たないのが実情である。
 では、女性にとって最高の夢とは何か、と考えた場合、それはボンヤリとした曖昧なものらしい。実現できそうであるが、ある一面からすると実現できないような内容のテーマが夢のようである。非現実的な話題なのであるが、もし実現できたとすれば楽しいのではないか、という内容が夢なのである。
 知人の中に、英国の小説を翻訳して単行本を出版する夢を持っている女性がいる。十年前も出版の夢を語り、五年前も出版の夢を語り、今もその夢を持っている。多分、五年後も、十年後もその夢を語るのではなかろうか。彼女にとっては出版してみたい、という夢を語っている短い時間が一番楽しいのである。なるほど、『夢』という漢字の意味からすれば、できそうでできないテーマがまさしく夢なのである。
 私ができそうでできない夢を持っていたならどうなるであろか。ニッチ本の出版もできず、隙間商品についての分析もできなかったであろう。私が出会ってきたニッチ企業主の殆どは、私よりももっと現実的であった。彼らは『中小企業として成功してみたい夢』だけを持っていたならば、ニッチ企業としては成功しなかったであろう。ニッチ企業主となり、安定した会社経営を続けるためには超現実的な思考にならざるを得ないのである。
2005年2月20日

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2005年02月19日

●知識は商品です。

知識はタダではありません。
女性社長の悪い癖に、知識に対価を払わないことがある。

 一応、私は特許事務所の看板を掲げて仕事をしているので、いろんな社長達と出会うことが多い。知人からの紹介された人、私の講演を聴取して知った人、各種のパーティで名刺を交換した人、私の著作を読まれて連絡してきた人など、各種様々なキッカケがある。そのようにして出会った人達の中には女性社長も結構多い。だが、私は社長が女性である場合には、体を半分構えて会話することが多い。つまり、女性社長の会話に乗り込まれないように、用心しながら話をするのである。
 女性社長と名刺を交換すると、後日になって相談の電話がかかってくることが多い。たった一回会っただけなのであるが、いとも気安く電話してくるようだ。しかも慣れ慣れしく。そういった女性社長からの電話では、特許や商標について会社で困っている問題や疑問を相談される。或いは、これから発表する新製品について、評価や法律的な解決策などを質問されることもある。そんな時、私は適当な返事をし、なるべく確信的な判断をしないようにしている。過去の体験から、女性社長からの相談では、大半が『私のただ働き』になっていたからである。気安く電話して相談するが、答えを聞くとそれっきりであった。
 私は弁理士であり、特許・商標についての専門知識を持っているが、これは私の商品なのである。専門知識は、国家資格を取得してからも、研修して積み重ねてきたものであり、汗の成果である。商品である私の知識や判断を、女性社長は無料で入手したいのである。いわば、飲み屋に入って、酒をタダで飲ませてくれ、と言っているのと同じである。女性社長にはそれが判らないのであろう。一度会っただけなのに、竹馬の友のような馴れ馴れしい喋り方で電話してくるのには内心腹が立つ。今までの体験で一番図々しかった女性社長では、会社まで呼び出し、そこで2時間ほど特許について説明させられた。私の説明が終わったなら、その女性社長は『もう用は無いから帰って欲しい』といような素振りとなった。利用するだけ利用したなら、それでお終いだったのだ。
 女性社長が知識に対価を払わない理由について分析すると、その一つは、形の無い物には金銭を支払いたくない、という女性独特の心理があるのではなかろうか。また、子供の時から知人や親を頼ってきた生きかたをしているため、『知り合いなのだから助けてくれるのは当然ではないか』という感情があるのではなかろうか。女性同志の助け合って(表面上だけだが)いく精神をそのまま実社会に通用させているのであろう。
 全ての女性社長がそうであった、とは言わない。飲食店経営者、パーマ屋経営者などのように、お客商売をしている女性はそれなりの気の使い方をしてくれることが多かった。前述のような厚かましい女性社長の名刺を見ると、『コンサルタント』『料理評論家』『企画会社』『広告会社』といった職種が多かったような気がする。いずれも資本をかけず、気楽に開業できるような軽薄な仕事ではなかろうか。男女雇用均等法も制定されたことである。女性社長も知識に対価を払う習慣を身につけて欲しいものだ。
2005年2月19日

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2005年02月18日

●製造業における性別

製造業には女性社長の進出が少ない。
女性特有の性癖によるものだと思われるが。

 私の関心がある中小零細企業は『モノ造り』をしている企業である。農林水産業の第一次産業や飲食業・サービス業の第三次産業であっても、活気があって面白い企業が多い。しかし、取材先の窓口を広げても目的がぼやけ、正確な分析はできない。私は『モノを生産、企画する製造業』のみを調査、取材、分析の対象とし、それ以外には関心を持たないようにしている。また、企業規模は従業員が50名以下であり、特に数名で経営している家内工業的な企業に執心している。『そんなに狭い分野だけを研究すると、視野が狭くなり、大きな成果が得られないのでは。』と危惧する人もいる。しかし、極端に狭い分野での研究であるからこそ、深く掘り下げて鋭い分析ができるのである。広い範囲の取材では、知識や情報が豊富になると思われるのだが、全てに浅い調査と分析しかできないのである。人生は短いのであり、あれもこれも、といった欲張った研究はできない。私一人でする研究では、この程度まで絞り込まないと成果が得られないと確信している。
 さて、そんな調査と取材を続けているうちに、企業主の性別により関係する分野が大きく違っていることに気がついた。『モノ造り』の企業では女性が極めて少ないのである。モノ造りでは男性ばかりであり、女性の進出が珍しいのである。あなたの周りを見渡していただければ判るのだが、製造業や修理業では女性社長は殆ど見かけられないはずである。
 この原因を考えてみたら、女性の性格の特質によるものではないかと思われる。すなわち、女性は『損をすること』を極端に嫌がる性癖がある。有史以来、女性は家庭を守り、子孫を残すことに大きな使命を与えられてきた。どちらかと言えば、進歩的というより保守的な性質といえるのではなかろうか。ところが、新商品を企画して製造する、という行為は必ずしも成功することもなく、失敗してしまうこともある。投資した資金が無くなるか、少なくなる可能性があるのが製造業である。こんなことから、女性は製造業に乗り出すことを嫌がるのではなかろか。また、鉄工所や造船所のように、危険で重量物を取り扱うような作業には肉体的に女性が向いていないことも一因ではなかろうか。しかし、近年では、コンピューター部品や精密機器などのように、体力を使わずに製造できる商品もあることから、やっぱり、女性は投資をすることに非常な嫌悪感を持っているのではなかろうか。女性が進出している製造業では、衣服やハンドバッグなどの日常生活用品の分野がある。これらは製造業というより、むしろデザイナーという第三次産業にちかいものであり、純然たる製造業への女性社長の進出は極めて少ないと判断される。
 では、女性が企業主として進出している業界は何か、と言えば、それは『絶対に損をしない業界』といえる。それらは、例えば、保険代理店、英会話教室、通訳・翻訳業、マッサージ業などの特定の業種に集中している。これらの業務に共通していえることは、『事業に失敗しても大きな損が出ない』ことである。日銭が稼げて、最悪の場合の損でも自己の時間を浪費しただけで金銭的な損害が出にくい業態といえる。
 たまに、製造業で女性社長である方を見かけることもある。それらは、父親か亭主の事業を引き継いで経営していることが殆どであった。自ら製造業を立ち上げ、運営されている女性社長とは出会ったことがなかった、といのが私の体験である。
 私の見解は、女性差別、ということでは決してない。職種の選択が性別によって大きく影響される、という一例である。

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2005年02月14日

●雑誌社を見つけるのが困難だった

時間もできたので、ニッチ企業の研究と分析を始めることにした。
しかし、私の企画を採用してくれる雑誌社は見つからなかった。

 ニッチ企業の内情を知るためには、私だけの独断で企業を訪問し、社長から話を伺うことは無理である。どこの馬の骨か判らない男を迎え入れ、商品開発や経営方針などを説明してくれるような気の良い会社なんて存在しない。私と合うことで何らかのメリットがなければ企業は相手にしてくれない。企業にとってのメリットとは、雑誌にその企業の業績などが掲載されることで、広告効果が発生したり、世間に実績を示すことである。私がニッチ企業を取材するためには、どうしても雑誌社の協力が必要である。このため、平成9年(1997年)の春より、私の取材に協力してくれる雑誌社を探すことになった。
 『隙間商品を製造しているニッチ企業の取材と分析』とタイトルをつけた企画書を作成し、あちこちの雑誌社を訪問することになった。日経ベンチャー、週刊ダイヤモンド、月刊プレジデントなどのメジャーな経済雑誌社から始まり、聞いたことのないような発行部数の少ないマイナーな雑誌社までも、ありとあらゆるコネを使って企画書を持ち込むことになった。だが、どの雑誌社も採用されず、話は進展しなかった。私の企画が採用されなかった理由を考えてみると次のようになる。
 まず、どの雑誌社の編集部でも『ニッチ企業』の実体を理解することができなかったことがある。世間では知られていない中小零細企業の一部であり、編集部ではそんな小さな企業のことを正確に理解することができなかったからである。次に、雑誌社はその雑誌を売ることで成り立っている。雑誌が多く売れなければ儲からないのである。このため、記事の内容は一般の人が関心を持つ記事に偏る傾向がある。著名な企業の記事であればそこの従業員が書店で購入してくれる可能性が高い。例えば、ソニー、東芝などの大企業であれば従業員は数万人もいる。関連企業を含めれば一桁多くなるはずである。こんな有名企業の業績や経営内容を特集すれば、全員とはいわないが1割程度の従業員は雑誌に手を出してくれる。競合会社の従業員も、相手の企業の実情を知りたいために読むであろうからもっと売れるはず。こんな理由から、経済雑誌では著名企業、上場企業の記事は掲載するが、無名の零細企業の記事を載せたくないのである。
 あちこちの雑誌社に売り込みをかけ、虚しく一年ほどが過ぎた平成10年(1998年)の夏、偶然に富士経済研究所(現在は、みずほ総合研究所に変更された)の編集長と出会うことがあった。当時、富士経済研究所は月刊雑誌『φ(ファイ)』を発行していた。この雑誌は発行部数が三万部と少ないながら、実験的な内容を盛り込んだ編集方針をとっていた(実際、赤字覚悟で発行している、富士経済研究所の看板雑誌であったが)。この編集長に企画を説明したところ採用となり、平成11年1月から連載してもらえることになった。ここから私のニッチ企業の調査と研究が世の中にでるキッカケとなったのであった。雑誌『φ』(現在はタイトルが変わって『フォーレ』となり、継続して発行されている)と出会わなければ、私が考えていたニッチ企業創業論や隙間商品の開発分析は日の目を見ることが無かったであろう。この雑誌と編集長には感謝している。
2005年2月14日

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2005年02月12日

●高校を卒業するときに考えたこと

高校を卒業し、社会に出るとき考えた。
漫然と人生を送るのではなく、目標を決めた。

 話は逆になるのですが、私が高校を卒業する時、将来はどのようなことをしてみたいかを考えたことがあった。高校を卒業して社会に出るのだが、長い人生の目標みたいなことを考えていた。人生をボンヤリと過ごすのではなく、取り敢えず遠い目標を設定してみた。明確に決めたものではなく、その時はボンヤリとしたものであったが、だいたい3つを目標にすることにした。それらは次のようなものであった。
 1、事業で成功して金持ちになる。
 2、知名度の高い有名人になる。
 3、私の生きてきた痕跡を残す。
 この3つの目標の内で、『金持ちになる』ことは早々と見切りがついた。私は小銭を稼ぐことはできるが、人を使って事業をするような性格ではなかったからである。金持ちになるには様々な要素が必要であり、私にはその要素の大半が欠落していることを自覚したからであった。
 『有名人になる』ことの目標も見切りがついた。音楽、絵画、芸術のいづれの分野においても私には才能が無かったからである。また、学術においても学歴、能力が無く、田中耕三さんのようにノーベル賞を受賞できるような頭脳ではなかった。
 最後の『人生の足跡を残す』ことは何とか可能なようであった。民間でありながら、誰もが気づかなかった分野を調査し、それを分析することならまだ私でもできる領域があるようであった。
 私がニッチ企業の取材と分析を始めることになった動機は、高校を卒業したときにボンヤリと決めていた目標の一つに合致していたのだった。こんな経過も、私がニッチ企業に没頭させる要因の一つであった。ただ、平凡な取材や分析であっては、世間はその研究を実績としては認めてくれないはずである。食うものを食わなくとも研究に突き進むようでなければ、第三者からは評価を得ることはできない。こうして、自分の生活時間の大半をつぎ込み、ニッチ企業の研究に取り組むことにした。
2005年2月12日

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●私の転換期

弁理士の仕事にはそろそろ飽きてきた。
今までとは別の人生を歩みたいと考えていたが、ちょうどその時に私の進路を変える出来事が発生したのだった。


 老社長からの解説でニッチ企業という存在に開眼したのだが、十数年前はニッチ企業を分析するまでの気持ちにはならなかった。それよりも私の仕事に追われ、毎日の生活を続けるのが精一杯であり、精神的な余裕が無かったからでもある。
 私の職業は、今でもそうであるが、弁理士である。大部分の業務は顧客から依頼された発明を文章化して出願書類にまとめ、特許庁に提出すると共に、その出願が登録されるまでの処理を行うことである。二十年近く前に独立してから、特許事務所を経営し、顧客から提案された発明を文章にまとめる仕事に没頭していた。この作業を、私は『机の上の土方』と読んでいる。朝から夜まで机に向かい、書類を作成するだけの業務である。人と出会って話をすることもなく、黙々と書類の山と戦わなければならないのである。面白くもないし、刺激もない日常であった。こんな生活から離れて、自分の個性を出しながら、世間の人に役立つような仕事に転業できないかな、とボンヤリと考えるようになった。
 『机の土方仕事』から、私が離れることになる出来事が発生した。平成9年に、私の主要な顧客の社長が急死したのであった。その会社から依頼されていた仕事が、私の事務所の全仕事量の八十%近くを占めていて、その会社からの仕事で事務所が維持できたようなものであった。また、その会社から依頼される発明は社長だけで創出していたので、社長が亡くなれば私へ依頼される仕事も当然のように無くなってしまう。
 このような事態になれば、平凡な特許事務所であれば新たな顧客を探し出し、今までと同じ仕事を続けることを考えるはずである。私はこの事件を好機と考え、それまでの土方仕事から撤退することに決めた。従業員には退職してもらい、事務所の固定費を下げることで細々と生活できる体制にし、以前から考えていたニッチ企業の分析を開始することにした。幸いにも、私は日常生活には金をかけない方針であったので、生活レベルを落とせば今までの売り上げの数分の一であっても事務所を維持することは可能であった。最低の生活を続けながら、面白くもない土方仕事とは別の分野で生きていくができる手段を考えることにした。
 こうして、私はニッチ企業、隙間商品の研究と分析に取り組むことになった。
2005年2月12日

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2005年02月11日

●零細企業を新たな眼で見ることにした

ニッチ企業に開眼して零細企業を識別することにした
世間にはまだ知られていない優良零細企業があった

 老社長からの説明で、世の中には小さくとも高収益商品を製造・販売して健全経営をしている零細企業があることを知らされた。『ニッチ企業』とは、それまでの私の概念には無かった企業の形体であり、私の知らなかった社会があることに気がついた。
 無名であっても良い。見すぼらしくとも良い。体裁などは気にしない。だが、社内の内部留保は高く、景気の変動にもびくともせずに運営することができる。何よりも一番良いのは、親会社の意向を聞かなくとも独自の路線で生きていくことができる企業体質を持っているのがニッチ企業である。ある面では零細企業の理想とも言える環境なのではなかろうか。
 老社長による開眼で、ニッチ企業というジャンルに目覚めることができた。そのような眼で社会を観察してみると、老社長が経営していた零細企業と同じようなことをしている企業が存在していることが判った。そんな企業とはしょっちゅう出会うことはできないが、偶然に出会った企業がニッチ企業であった。経営者から製造している商品や技術内容などを聞いているうちに、ピンとくるものがあり、『この会社はニッチ企業だな』と勘づくのであった。
 老社長と同じ思考で商品を開発し、付加価値を高めて効率の良い経営をしている零細企業があちこちにあることに気がついた。大学の教科書にも出ていないし、経済雑誌にも載っていない独特の企業である。世間では全く未知のジャンルである。いつかはこのようなニッチ企業の実体とその内情を総合的にまとめてみたいものだ、とボンヤリと考えるようになった。
2005年2月10日

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2005年02月08日

●隙間商品との出会い

オンボロ会社で製造していたものは
意外と単純な商品だった

 健全経営のオンボロ会社では、万引き防止装置を製造していた。デパートやレコード店などの出入口近くの左右にはゲートのような形をした万引き防止装置が設置されている。出入口に設けられているのは、電磁波を発生する装置である。盗難を防止するためのレコードやCDなどには特殊なタグが取り付けてある。電磁波を発生する万引き防止装置とタグにより盗難を防止するのである。タグを付けた商品を持ち出して出入口を通過すると、電磁波発生装置からの電磁波がタグにより反射され、万引き防止装置のブザーを鳴らして万引き行為を知らせることができる。タグを付けた商品を万引き犯が持ち出すのを出入口で捕らまえることができる。書店、レコード店などではお馴染みの機械であり、時々誤作動して万引き犯がいないのみもかかわらず機械が『ピー、ピー』と甲高い警報を出しているのを見かけることがある。
 この万引き防止装置の構造はそれ程高度なものではない。出入口の付近にある大きな装置は電磁波を発射するだけであり、構造的にはすこぶる簡単なものである。だが、電磁波発生回路の製造には特殊な技術が必要とされる。東芝や日立などの大企業であれば技術力もあるので製造することは訳ないことである。ただ、大企業が生産するのであるから、月間で最低一万台以上を生産しなければ採算が合わない。万引き防止装置の市場は狭く、全国で販売できるのは月間三十台程度であった(私が老社長と出会った頃)。このため、少量生産が得意な中小企業が製造することになるのだが、電磁波発生回路を製造できるような特殊な技術力を持った中小企業は全国でも限られる。技術の特殊性と市場の狭さの相反する課題があるため、万引き防止装置(というより、電磁波発生装置)はそのオンボロ会社が国内での製造を半ば独占していたのだ。
 その当時、万引き防止装置の出荷額は一台三十万円程度であったが、製造原価は三万円位と推測した。毎月三十台の製造であっても、少人数の会社にとっては膨大な利益になる。会社の社屋が薄汚いのは、社会から目立たないようにカモフラージュしていただけのことであった。
 老社長は、『私の会社は、量産が得意な大企業では引き受けない特殊な商品を少量だけ製造し、高い付加価値を付けて売るのが方針なんだ。といって、同業者が簡単に真似できるような商品であっては付加価値が無くなる。他の平凡な中小企業では追いつかないような技術力で、簡単には真似できない商品だけを製造するんだ。』と、中小企業がいかに儲けることができるかのカラクリを解説してくれた。老社長と付き合って判ったのは、高付加価値の商品を生産するならば、中小企業であっても莫大な利益を得ることができる分野があることだった。どうりで、この会社は金払いが良いはずであった。
 大企業が手を染めたがらない隙間商品こそが中小零細会社の目指す目標であり、妙味がある分野といえる。このような流れで、私はニッチ企業に関心を持つことになった。
2005年2月8日

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●オンボロ会社の内情

不思議な会社の内情はこんなことだった
会社は概観ではない

それからも、その会社との付き合いは続いたが、老社長は用心深い性格なのか会社の内情を全く説明してくれることは無かった。二年も顔を合わせていて、私の気心が知れるようになると本音に近い話もしてくれるようになってきた。ある日、老社長は、『去年の年末は大変だったよ。』と、変なことを言い始めた。続いて、『昨年は会社の黒字を隠すために苦労したんだ。不要な消耗品などを大量に買い込み、何とか帳簿を赤字に落とし込んだよ。』と話を続けたのだった。
 通常、どこの零細企業の社長でも『年末は、資金繰りをつけるのが苦しかった』と言うはずなのだが、この老社長は逆の話をしたのだった。このオンボロ会社は年末になって運転資金を導入するのに苦労したのではなく、黒字を隠すのに困っていたのだった。この会社では、毎年の決算をほんの少しだけ赤字として帳簿を工作していたのだった。本来は収益が出ていて黒字になるはずなのだが、チョッピリだけ赤字として法人税を払うのを逃れていたのだった。
 それから話が続き、『特許出願の費用は、必要経費として帳簿で処理するのに全く都合の良いものだ。』と述べられた。私にアメリカへの特許出願を依頼したのは、黒字を隠すための節税対策のためだった。特許出願にかかる費用は研究開発費の一部であり、全額年度内に一括して償却することができる。同時に、外国特許出願の費用は金額が大きいため、黒字隠しには好都合である。この説明で、私に高額なアメリカへの出願を依頼した理由が判ったのだった。
 老社長の経営する零細会社は、建物は見すぼらしいのだが、それは世を忍ぶ仮の姿であった。経営内容は毎年黒字を隠さなければならない程、頭に『超』がつく優良企業であったのだ。

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●ニッチ企業と出会う

その老社長とであったのは十数年前であった。
しかし、そのときの印象は今でも鮮明に記憶している。

私が或るニッチ企業(或いはニッチ企業主)と出会ったのは、十数年前の夏のことだった。知人を介して零細企業の社長を紹介され、私の零細事務所を訪れてくれた。その時にすでに70歳を越えていた老社長であり、それ程強烈な印象を受けるような人柄では無かった。その時は、特許に関連した相談であったような記憶がある。
 その後、老社長の会社を訪問して、その規模と内情を知ることができた。会社は東京の大田区に所在しており、社屋は築三十年以上も経過した木造二階建てであり、借地であった。社屋の側を幹線道路が走っているため、排気ガスで建物全体が煤けて見すぼらしい。機械加工ではなく電気部品を製造しているため、工作機械の切削油で壁などが汚れたような町工場とは違った雰囲気であるが、ささやかな建物であった。どにでもあるような建物であり、気がつかなければ見過ごしてしまう。一階が老社長夫婦の住居で、二階はは擦り減った板張りの二十畳ぐらいの広さの作業場があった。社員は、男性が二人、パートのおばさんが数名で編成されていた。
 老社長からは時々特許出願の依頼を受け、それなりに仕事を処理していった。どの商売でも、新しい顧客と取り引きする時には、顧客の支払い能力、資産状況を把握しておかなければならない。新しく取り引きを始めたが、注文だけしておいて逃げてしまう会社もときにはあるからだ。オンボロの社屋を見てから、『こんな会社では確実に支払ってくれるかな。』と、不安であった。そのような不安は危惧であり、その零細企業からの支払いは極めて素早かった。通常の会社なら、請求してから入金までは早くて1か月後、遅ければ3か月後である。その会社では、請求したその月の月末に必ず入金があった。また、見かけとは裏腹に、私の請求額を決して値切ろうとはせず、気前の良いものだった。
 そんな不思議な会社と取り引きを始めてから半年位経った或る日、社長から、『アメリカに特許出願をしてくれないか。』と、依頼を受けた。アメリカへの特許出願では、翻訳代、米人の弁理士への支払いなどでかなり高額となる。こんな小さな企業では支払いが大変なはずである。また、零細企業であるその会社には商品を輸出するような計画は無く、アメリカまで特許を出願する必要性がないと思われた。
 私は老社長に、『アメリカに特許出願するのはお止しなさい。』と忠告した。だが、社長は、『ぜひ特許出願してくれ。』と強固に依頼され、そのまま押し切られてアメリカに特許出願することにした。外国特許出願の経費は百万円以上になったが、この費用もそれまで通りに一ヶ月もしない内に全額支払ってくれた。社屋、設備などが見すぼらしい零細企業が外国に特許出願するのは珍しいことであり、支払いもキッチリとしてくれたので、私にとっては不可解な経験となった。

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2005年02月06日

●「ニッチ本ができるまで」の解説

 平成14年(2002年)にウエッジ社より『下請けやめてニッチをめざせ』(以下、ニッチ本と省略する)を出版しました。この書籍は私にとって最初の出版であり、思い出深いものです。ニッチというジャンルでは類書が無く、多分、私がこのジャンルを最初にまとめたのではないかと思います。ニッチの先駆者と自負しております。今回は、ニッチ本が刊行されるまでの経緯とその間の出来事について連載させて戴きます。この連載で使用する単語は次のように定義します。私の個人的な定義ですが、これを先ず理解されてから連載をお読み下さい。
 『ニッチ企業』 隙間商品を製造或いは販売する企業のことであって、従業員数は0から20名程度の企業です。国内には10万人を越す大企業も多くありますが、ニッチ企業は新聞の記事になることもなく、町の片隅でヒッソリと活動していることが殆どです。しかし、国内にある企業の中で一番数が多いタイプでしょう。なお、中小企業庁による中小零細企業の定義は、『従業員が500名以下』ということになっています。しかし、現実的に従業員が300名、400名の企業が中小企業といえるでしょうか。実感からする中小企業とは、従業員は数十名でしょう。すると、私が定義するニッチ企業とは、世間で言われる『零細企業』の範疇に入ります。
 『隙間商品』 大企業では製造していない商品のことで、世間では殆ど知られていない商品を指します。しかし、特定の業界では知る人ぞ知る、とい商品のことです。どちらかといえば、一般家庭などで使われるものではなく、業務用のことが多い商品といえます。広告もしないので、一般市民が知ることはありませんが、知名度が低いからといって売れない商品ではなく、必ず販売されていく商品のことです。
2005年2月6日

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●ご挨拶

 この度、私のホームページを開くことになりました。私のパソコン歴は古いもので、その昔のDOSの時代からパソコン通信を行ってます。ウインドウズになってからは至極便利となり、インターネットを閲覧しています。情報化社会ではインターネットを利用しなければ仕事も進みません。インターネットで他社や他人のホームページを閲覧したり、メールのやり取りを行うのは日常生活に一部となっています。
 アプリケーションを活用するのはそれ程難しいものではないのですが、DOS言語やホームページを作成するような頭脳と技能は持ち合わせてません。この度はホームページを立ち上げてくれる協力者が現れたため、これからはこのページで私の原稿を掲載していくことになります。
 私のホームページでは、『ニッチでリッチ』がスローガンです。これは何を意味するかと言えば、社会では隅の方に押しやられた隙間の部分(ニッチ)で活動し、世間の人が気がつかないようにして金儲け(リッチ)をしよう、ということです。株の諺に、『人の行かぬ裏山に桜咲く』があります。社会の殆どの人が気がつかない小さなマーケットにこそ個人事業主の設けるネタがあるはずです。小さな会社(ニッチ企業)であれば、市場は狭くても収益率が高い商品(隙間商品)を販売していくのが商売の面白みではないでしょうか。
 私がニッチ企業を取材してきた体験を元にして、ニッチ企業や隙間商品について解説していきたいと存じます。このホームページでは、雑誌や書籍では掲載できないような内容を表現していきます。ニッチ企業を目指す皆様のお役に立てれば幸いです。
2005年2月6日

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